第17回:3Dプリンタ

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3Dプリンターというものが登場してから少し時間が経ち、その存在が一般的に認知され、理解されるようになってきた。
SFCでも、3Dプリンタを所有する研究会はいくつかある(残念ながら、僕は触れる機会を未だ得ていないが)

3Dプリンターとは、コンピュータ上で表現された3Dモデルを、実空間に出力するための装置で、使用する素材(マテリアル)に制限はあるものの、ほとんどあらゆる形を再現することができる。今はまだ、プラスチックや特殊な化合物などを素材に用いなければならないものが主流だが、チョコレートや木材などを素材に使える「変わり種」も増えてきており、いずれはあらゆるものを3Dプリンタで出力する未来が待っている、というのもあながち嘘ではないかもしれない。

そこで、今回のテーマ。「この機械が我々にもたらす未来はなんだろうか?」

3Dプリンターの利点はやはり、データ化=抽象化にあるだろう。かつては職人や工業が手作りないしは専用の設備で生み出していたようなプロダクトを、どこでも誰でも(図面さえあれば)生み出すことができる。
すでに、「機械の修理用部品を販売するのではなく、その3Dプリンタ用の図面を配布する」ということが行われた事例もある。規格化されるということは大量生産につながる。かつては高額を要した複雑なオブジェや現代アートの作品が、ダウンロードして自宅でモノとして出力されるということもありえるだろう。

しかし、当然道具には功罪がある。道具は道具だが、悪い使い方もありえる。たとえば、3Dプリンタで銃を製造したという事例もある。もちろん、プラスチックの素材で銃を作っても、爆薬の熱量に耐えられず、一射も安定して打つことは難しいかもしれない。それでも、同様に武器やら何やらあぶなげなものを作ることはできる。

いまさら、世界には合計して何億の銃があるというのに、こんな心配をするのはおかしいだろうか?
それは実は、製造責任の問題である。どのような黒い流通ルートを通ってきたとしても、プロダクトとして生産され流通されるモノは、その過程で法律や人間との兼ね合いを経験し、洗練されていく。
ダウンロードして、プリントするだけで作れてしまうモノには、その過程がない。

この問題は、いま法整備が進むダウンロード関連法案や、インターネット犯罪についての問題と同じ原理を含んでいる。ソフトウェアの開発者は責任を負わず、利用者はおうおうにして無実で、また流通は一瞬で終わるということだ。
罪と罰という原則が、すでに時代遅れのものなのかもしれない。

更新:2012-10-27 慶應義塾大学 環境情報学部 中園 翔