第30回:ベジタリアンよなぜ

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動物愛護の精神はどこに由来するものなのだろうか?「生きている動物を殺して食べるのはかわいそう」という意見があるが、人間をはじめとしたほとんどの多細胞生物は、他の生物の細胞をそのまま取り込むことでしか生命を維持できない。

無機物、つまり自然のエネルギーである太陽エネルギーや土壌、水分から栄養を取り出す事ができるのは、植物や菌類、原子生物(たとえば、プランクトンとか)に限る。そして、ほとんどの動物は、よく知られる食物連鎖の図式にならって、他の生物を捕食する。その連鎖の最も下層に位置するのが植物やプランクトンであり、最も最上位に位置する捕食動物も生命が終わるときに土壌に帰ることで植物やプランクトンの増殖に貢献するという図式だ。

だからして、ベジタリアンとして生きることは、こと動物を殺さないという意味合いでは、間違ってはいないのかもしれないが、植物を食べることもまた、生きている生命を食べることには他ならず、痛覚がなくとも植物にも生き死にはある。(もっとも、痛覚や感情が植物にもあるのでは、という意見も最近はある。良い音楽を聞かせると植物が良く育ったりするし、植物は「いま、葉っぱのどこに虫が止まっているか」というデータを電位として得ていることはわかっている)

植物は無機物からエネルギーを取り出し、動物は植物を食べ、その動物を食べる動物がいるという食物連鎖において、あえて人間がその位置を下げる理由はなんだろうか。

動物愛護とは何か、そして、愛玩動物とは何か?ペットを飼うという行為は本質的に何を意味しているのか?

ベジタリアンには様々な理由があるので、一概にこれという答えがあるような話ではないが、今、わりと考えている話だ。

更新:2013-02-01 慶應義塾大学 環境情報学部 中園 翔