第28回:ヒロシマ2

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2. シンボル

既に述べたように、原爆資料館を含めたこの『広島ピースセンター』は都市のコアとして機能する。原子のコアや台風のコア、インテル社CPUのコア、高層ビルのコア。コアはものの「核」となるものでそのものの最も中枢となり重要となる箇所とも言える。それはある意味、そのもののシンボル性またはアイコン性を放つ部分と置き換えて考えても良いだろう。ではこの公園計画をみたとき、一体何がそのシンボル性を演出しているのだろうか。

西洋の象徴的演出には「量塊的」手法が使われる。「エジプトの文化」や「中世のキリスト文化」、「英米の金権的世界支配の欲望」という丹下による言葉を見ればそれは納得できる。しかし丹下はこのピースセンターは、西洋の手法を使った象徴性または記念碑性の演出には強い反感を抱いていた。それは計画の5年ほど前に「大東亜コンペ」で彼が考えた日本独自の強いアイデンティティーを呼び起こす記念碑性の演出に全てが濃縮される。量塊に対する「場」の記念碑性だ。

藤森照信によると場の記念碑性には、象徴的なものとそこへ向かうアプローチの視線の抜け、そして左右には共通性がありながらしかし対極的なものの配置、場の錯乱防止の工夫が必要とある。丹下はこの手法をル・コルビジェのソビエト・パレスに見出し、卒業設計で自己流への変換を試み、ようやくこの大東亜コンペで完成させている。それを以後の在盤谷(バンコック)コンペや広島平和記念カトリック聖堂コンペ、そして広島ピースセンターに発展させている。それは古来日本建築にみられる、建築物の周囲を囲む環境の秩序ある造営精神に着眼したことから始まる。広島ピースセンターでもその影響なのか伊勢神宮や桂離宮、京都御所の特徴がところどころに見て取れる。

3. 建物への導入

子どもの視点から見てもこの公園は何か特別な場所というのが分かる。有名な「原爆ドーム」という原爆の遺骸から祈りの場所と広場を通り過ぎ、巨大な脚で地から立ち上がる記念館を望む光景には万人が息を飲む。巨大な敷地がまるごと計画されている事が明快なのは官僚的な力も少なからず感じることだろう。四方からこの三角州の土地へ入る際に必ず川を超えていく演出は昔話の「トンネルを抜けると・・・」というような特別な雰囲気を作り出すことにいくらか効果があるようにも感じる。

更新:2011-10-07
早稲田大学 創造理工学部建築学科 佐藤鴻