第40回:春休みで学んだこと(1)
春休みの残りを利用して三重県の伊勢、奈良、京都へ行った。旅の順路は偶然にも史上の流れを辿るように、弥生時代から古墳・飛鳥・奈良・平安・鎌倉・室町を経て江戸へと帰ってきた。片道8時間はしかし長い。ただひたすら続く参道を歩き、先の見えない深い原始の森を進む様。通り抜けた先に突如あらわれる神域。そんな一連の体験とは似ても似つかない、とは言いがたいこの夜行バスの長さが僕は嫌いではないのだ。
伊勢ではとあるゲストハウスにお世話になった。深みある音楽愛好家の若いオーナーがつい数ヶ月前、廃業した旅館を買い取ったのが始まり。内装を洒落たヒッピー調に仕上げた三階建ての縦長な建物には、木霊の様にちらほらと置かれた石ころや、壁に大きく描かれた動物や鳥の絵、共同部屋の二段ベッドにある仕切りカーテン、共有スペースにあるこたつやバー、みんなの台所、深夜まで止まない宴の音、お香の香り、床のきしみ…。一泊三千円は解せぬ価格設定と思いつつ、あの素晴らしい宿が懐かしい。
伊勢神宮での体験は、これまで一人の人間として、そしてこの国の文化の一員として、生まれてきたことに心の底から僕に感謝させた。そのことを説明してくれる良い言葉に、僕は4月に入ってから訪れた福島県会津若松市のとある神社で出会った。その神社の入り口は小さなもので、小高い山の麓にそれはあった。鳥居をくぐると形のまばらな階段に導かれる。そこから本殿に上がり切るまで約5分。頂上の見えない長い長い長い階段を、始めは興味本位で、続いて意地で、そして最後は無心で、ひたすら登った。辺りは一面背の高い杉の木が生い茂り、その中で階段だけが、山がまるで自らの懐へ僕を招き入れるように浮き上がっていた。恍惚状態に達しながら登りきった先に、突如開けた場所があらわれた。その山のご神体に辿り着いたのだ。我に返り息を整えようと地面に座り込むと、自分が登って来た道が下方に見えた。その深さに驚きながらも、全身に山の霊気を感じていた。ふと目を横にやると看板にその言葉はあった。
『人は山へ登り 霊気に触れ 心と体を磨く』
早稲田大学 創造理工学部建築学科 佐藤鴻