第2回:流行と鬼

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 僕は前から「流行」というものがキライだ。流行とはいわば多数決をして勝つ「マジョリティー」のことだ。例えば僕は友人と洋服がカブるのが大嫌いで、学校でも指定のものを着なかった元々の理由にはこれがある(と思う)。持ち物や行動、発言、全てにおいてマジョリティーを嫌ってここまで生きてきた。
 マジョリティーが間違ってるとは言わない(僕は何事も総体的に評価する(judge)ことは基本的に無理だと考えている)。しかしこれが創り上げる「まやかし」こそが批判の対象だ。最近のことばで言えば、「流れ」とも言い換えられる。これは人々の暗い心に宿る鬼、つまり「疑い」に深いレベルでリンクしている。マジョリティーという大きなモノを目の前にすると、人は自分が持っているであろうものを疑い、その大きな流れに飲まれる。現在の東京を見てみればそれを生々しく感じることができる。疑心暗鬼な情報が飛び交っている。食糧危機、計画停電、交通網麻痺、ガソリン不足、放射能漏洩、災害期間、被災地状況エトセトラエトセトラ。このような「流れ」の中で人は、強靭な理性で感情を統率し現状に「普通に」対応することが出来なくなる。それは、災害時の対応も自分の洋服を決める時も同じだ。
 僕がマジョリティーを病的なまでに嫌ってきた理由を少し書く。それは金魚すくいに似た話だ。金魚すくいの水層を覗くと、そこには無数の赤い金魚が泳いでいる。どれと選ぶ特異な理由もなく目の前に来たそれをすくうだろう。色々な赤いそれを見ているうちに、体格や健康を始めのうち気にして見ていた自分はどこかへ消える。しかしそこへ、黒光りするからだに風変わりな顔つきをした一匹の出目金が、不恰好なまでの大きな頭を押すようにしてこちらへ泳いでくる。想像してみればいい。一面赤い者たちのなかで、黒い者がどれだけ栄えるか。それを狙う人は必ず、いる。マイノリティーにはこういうチャンスがあると僕は確信した。たぶん中学2年か3年のバスケ部時代のことだ。

 今日本は大きな危機に直面している。こんなときこそ心の鬼は現れる。流れが生まれる。しかし今僕達が心がけるべきことは、世界の中で「ここ」にたった独りたたずむ己を改めて意識し、今一度自分の全うすべきことを見据え、その勘と意志を手繰り寄せるように精一杯のその一歩先で生きることだ。
 今日も太陽が眩しい。おはようございます、また頑張ろう!

早稲田大学 創造理工学部建築学科 入学予定 佐藤鴻