第8回:一歩引く

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 今日からやっと大学が始まる。小学校のころ、高校や大学にいる従兄弟を見ながらよく自分の将来の姿をぼんやりと想像した感覚を今でもハッキリと思い出す。しかしまさかその自分が本当に大学生になったと一歩引いて考えると、恐ろしい。そんな日の記事に何を書けばいいのか、珍しく迷っていた。そこでふと思い出したのが前に友人から聞いた話で、執筆の方法として何も頭で考えずに手と目のみで書く「オートマチズム」という手法がある事を思い出した。これはSF作家などがアイディアが自分の中で被る事を避ける為に行う深層心理の効果的利用だそうだ。今回はこれで出てきたアイディアを使って記事にしようと思う。

 初段落で「一歩引く」という言葉が出たのでそれについて書こう。最近の僕は一歩引いて物事に取り組むようになった。「一歩引く」とはシニカルに、より客観的にそれを見ようと試みることだ。例えば僕は建築という極めて限られた専門分野に所属するが、この世界をあくまで一歩引いてみることをしてみる。ここに頭まで漬かっている人たちには見えない景色が僕には見えるだろう。そしてそれが、もしかしたら彼らが必死で追い求めている「なにか」かもしれない。一歩引いて活動することは対象が持つもの持たざるものを冷静に判断して対処することができることを意味する。そして漬かりきっている人には絶対に不可能な、その世界を抜け出して次へシフトすることだって自由自在だ。これは専門家への批判でも、自分の正当化でもない。僕はこれが、個人が持つポテンシャルの最大値をとるための有効な手段のひとつだと考えているだけだ。

 人間は幸せに生きるべきだ。そしてその幸せの定義はもちろん人によって異なるだろう。なににしろ、人間は幸せに生きるべきなのだ。僕らの世代の平均寿命は必ずや短くなるだろう。人生60年と考えると、あと10年で僕はターニングポイントに入ることになる。こんな瞬きの瞬間のような人生の中で、何をやりたいかなど今ここで決められるわけもない。僕は幸せに死ぬために、それを決めるつもりはない。建築家サトウコウなどさらさら御免である。幸せに死ぬために、僕は毎日ひたすら動き続ける。動き続けて、色々な人・舞台・物にぶち当たり続けよう。その衝突の繰り返しによって自らが出会う「機会」こそが僕の幸せとなるだろう。今日は大学初日。キャンパスを歩くとたくさんの「機会」と肩をぶつける。

早稲田大学 創造理工学部建築学科 佐藤鴻