第9回:情報
「情報」というコトバは、私たちが生まれた20年前当たりから段々と使用される機会が増えてきた。家庭用コンピューターを始め携帯電話・電化製品・車・建物など身の周りのものがみるみるうちに電子化される「IT」または「情報技術」と呼ばれるものが軌道に乗ってきたからだ。このような社会の中で起こる実務面の変化に教育分野の反応は非常に敏感だ。それは「社会の中で実務的貢献ができる人材を育成する」という目標を掲げるのが教育分野であるからだ。
しかし、実際に教育機関等が描くような理想は実在しないのではないか。なぜなら先のような社会的変化を大衆がしっかりと認知し、その変化に対応するための打ち手を提示する、という過程が進むまでに極めて時間がかかるからだ(もちろん教育機関側は変化を早期的に認知するはずだが、教育機関もサービス業である。そのサービスを受けたいと思うクライアントがそこに必要性を見出すことができなければ意味がない)。社会のニーズと教育機関の間にできるズレは、学生を中心にみられる多くの問題の本質のひとつと考えられる。
2011年3月11日、日本は未曽有の大災害に見舞われた。東京を生活の拠点とする僕には物理的な被害はほとんどなかったといえる。しかし、震災後の人災には東京を中心に多くの人々が被害にあったことと想像する。SNSを始めとする各種モバイルサービスや、交通・食料等の公共サービス、更には公のメディア機関による混乱などありとあらゆる所で混乱が相次いだ。そのなかで出会った海外のジャーナリストのつぶやきが印象的だった。
『大地震の直後であっても礼儀や秩序を守る姿に世界中が感銘をうけて称賛したが、いま人災を撒き散らす政府に抗議の声もあげない日本人に世界は冷ややかな目を向けている。彼らはただ集団行動をしただけだ。』
自分はこれから「情報」から「知識」を取り出す能力を身につけなければならない。前者が溢れかえる現代で適切なカタチで後者を創造していく事はこれまで以上に困難となってくるだろう。大学ではそんな事を頭の片隅に日々を送ろうとおもう。
早稲田大学 創造理工学部建築学科 佐藤鴻