第18回:フリーダから学ぶ ~死~

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  マグダレーナ・カルメン・フリーダ・カーロ・イ・カルデロン。
1907-1954年に生きたメキシコ出身の女性画家で、そのグロテスクで衝撃的な画風で知られる。小中学生には「ゲジゲジまゆ毛女」として有名で(体験談)、繋がったまゆがメキシコでは強さの象徴として重要なものであるという事は彼らにとってさほど重要な情報ではない。しかしこの女性画家の人生とその「強さ」とが重要な関係を持つということをまずここで言わなければならない。ではここから、フリーダ・カーロとして知られるこの画家について今回は話そう。

  フリーダの歴史を語る上で、重要な事柄がいくつかある。その中で最も重要なものが、彼女が幼い頃にあう大事故についてだ。フリーだは車両事故によって肩の脱臼、肋骨・鎖骨・背骨・骨盤の骨折、右足の粉砕骨折など瀕死の重傷を負った。生涯その傷の治癒と緩和手当によって苦しめられながら生きた彼女は、大半をベッドで過ごす時間の中で同時に多くのものを手にした。画才、怒りと悲しみのエネルギー、それに対抗するようにある「強さ」・・・。孤独は人に多くを考えさせる。人は悩み、悲しみ、怒り、失望し、そしてふと全てを受容する。フリーダの人生と作品を辿ると、目を背けたくなる原色のように純粋なその人間の性がそこにある。それは人が死にゆくために通らなければならない「道」そのものを描いているように僕は感じ取った。それはキューブラー・ロス博士が唱えた「死の受容プロセス」と非常に似ている。否認→怒り→取引→抑うつ→受容 となるこのプロセスは、自分が死ぬということは嘘ではないのかと疑い、なぜ自分が死ななければならないのかという怒りを周囲に向け、なんとか死なずにすむように取引をしようと何かにすがり、欝になり、そして全てを受け入れるというものだ。これが僕にはフリーダそのもの、そして人間の人生そのものに見えるのだ。

  僕が初めて死を目の前にしたのは10歳の頃、父方の祖父が死んだ時だ。そのとき、「死」は祖父の魂を奪いそこに体だけを残して去った。僕はその時それはそういうものとして何故か自然に受け入れた。二度目に出会ったのは母方の祖父の葬儀。このとき僕は16歳になり、既に理由や意味を問うように人間としてなってしまっていたので、多くを悩んだ。3度目は昨年、17歳。高校の友人。衝撃的。自分の存在意義を探して路頭に迷い、改めて死の恐怖にかられた。そんな時ある人が言った言葉が印象的だ。
”If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?” And whenever the answer has been “No” for too many days in a row, I know I need to change something.

フリーダ・カーロという女性に対面して考えさせられた「死」や「生きること」というものを断片的だが書き留めてみた。もし彼女についてもう少しきちんと知りたいという人があれば「Frida」という映画をチェックすればざっくりと分かるだろう( http://frida.asmik-ace.co.jp/ )。本当は他人とこれについて意見を交わせればとても有意義になると思うのだけれども・・・ もし話をしたい人があればこちら(https://sites.google.com/site/mon2010dec/)まで。

更新:2011-07-16
早稲田大学 創造理工学部建築学科 佐藤鴻