第54回:美的感覚と性的感覚2
・奥ゆかしさとbisexuality
ここまで書いたように奥ゆかしくてジメジメとした美的感覚が備わった日本人にとって、bisexualというオープンな性のステータスを公言することは難しい。アメリカでは確かにオープンだ。ニューヨークに行ったときに見たgay communityの大きさに驚いた経験がある。華やかでファッショナブルな服をまとい鍛えられた筋肉をさらす様は、僕からみれば潔さが新鮮だった。アート界ではほとんどがbisexualだし、カリフォルニアでは町に普通に男同士が手をつないだりしていた。しかし日本ではもっと光の当たらないジメジメした影の存在だ。日本でもたまにbisexualの人は見かけるが、彼らは自分たちの素性を隠しているように見える。街で見かける事は珍しいし、そういう層を対象としたマーケットを見る事も普通はない。たまに見かける彼らには、ファッショナブルで華やかな雰囲気は見受けられない。これはどういうことか、芸術に置き換えて考えてみる。日本で美しいとされる建築には、直接的でなくいかに変換して展開して考えるか、という美観が出ている。例えば自然に溶け入ったもの、奥に奥にと展開するもの、険しい道の先にあるもの、ある位置からは普通でもある位置からは息を飲む景色を持ったものなどだ。
・bisexualの歴史
実は日本では江戸時代から同性愛のコミュニティが大規模に存在する。しかし目立ったコミュニティには必ずそれを叩くコミュニティもあるもので、江戸期では殿様など地位のある人にとっては贅沢な遊びとされていたが、明治時代に入り法律によってゲイは禁止されて大打撃をうけている。時代が進むにつれて言論の自由や著名人の後援等によって再びブームが到来する。同性愛者には高学歴で都市部の人に多くみられ、人権意識を持って海外の同性愛禁止法に反発していたり、戦前とは一転し罪悪感を抱いたり卑下したりしなくなったりしたことも後押ししている。近代化の影響で情報量が増え、bisexualに対する社会の見方も更に寛容になる。例えば少女マンガ等での取り扱いが増えたり、bisexualの芸能人が多く輩出されたり、ドキュメンタリーを組まれたりとメディア全般において露出度が高まっている。この影響は草食系男子や韓国の影響でメイクをしたりする男性などに出ているのかもしれない。もちろんこの風潮に対しても反対派がいて、その例に石原前都知事がこんな発言をしたのが印象的だ。「子供だけじゃなくて、テレビなんかにも同性愛者が平気で出るでしょ。日本は野放図になり過ぎている。」
早稲田大学 創造理工学部建築学科 佐藤鴻