第57回:スケートが変えたもの2

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今まで消費されることなくアンダーグラウンドの小さなコミュニティの中で静かに、しかし着実な歴史的背景や周辺環境と共に成長してきたこの文化。年齢は10代から30代前半までの活発な人たち。外で過ごす事を好み、アートに強い好奇心がある。グラフィティや写真などのアートは彼らにとって重要な自己表現であったりする事が多い。音楽はどんなジャンルでも楽しむが基本的に落ち着いていたりする晴れの日に聴きたくなるようなものを好む。法律等の規制は彼らを縛らないが、基本的に悪意はなく注意をされればおとなしくやめる。独りでも大勢でも楽しめ、自由気侭な風潮がある。こんなスケートシーンが、ファッション業界によってついに表の世界に引っ張りだされたのだ。

ところで、先から言う「シーン」とは何か。僕が考えるシーンは、所得・教育・出身などの原初的にその人に作用する生活レベルが一致する人同士が、同じような境遇や好みなどの傾向によって集まったあるコミュニティのことを指す。しょうがなく所属する場合も、好んで所属する場合もある。それぞれ例えば農民と乗馬をする人などだ。何が言いたいかというと、つまり価値観が似通った人たちには共通した傾向があり、好みも似てくる。「シーン」とは、言い換えれば小さな文化圏のようなものだ。少し前から育ってきたシーンとしては、スケート系に加えてアウトドア系やビジュアル系などがある。地形や宗教から始まり衣服や食べ物や住居などに発展して行く文化の様に、スケールは違えど緻密なストーリーがシーンにはあるから廃れようにも廃れない。一時期に消えても文献として残るから、トレンドの様にひと時に起きて没するようなことは無い。だから商品化してくるものは服に限らず写真集やステッカーやポスターなどのアート商品から、スケートボードの新しいデザインのようなシーン専門商品、映像や音楽など多岐にわたりストーリーを作っている。

今日の消費社会では始めにも触れた通り、あらゆるモノは組み合わせによって作られる。原型が分からない程にそのパターンは細分化し、もともとの文化的価値は失われて最後には消費される。僕はシーンというものを考えたとき、これには新しい可能性を感じる。シーンはトレンドの様にひと時に起きて没するようなことは無い。文化的意味と価値を持つそのストーリーは、消費・破棄される事の無い媒体だ。シーンは何もかもすぐに食いつぶしてしまうこの消費社会に台頭する重要な存在になりうるのかもしれない。

更新:2013-02-19
早稲田大学 創造理工学部建築学科 佐藤鴻