第9回:官か民かという選択肢

 官か民かという選択肢

・国や社会を変えるのは官であるのか?

 第2部の3回目は、「官」か「民」かということについて述べていこうと思います。何が官で何が民かということに関しては、色々な議論がありますが、ここでは大きく「官」というのは公務員、民というのは企業に勤める人と考えてもらえば大丈夫です。AO入試の添削など、高校生と将来及び大学への志望理由について話していると、よく「自分は国や社会を直接支えたい、変えていきたいから、公務員になるんだ」という人がいます。私も高校生の頃は、教育を中心として様々な不満を社会にもっていたので、将来は官僚となり、「国を変えていこう」と思っていました。

 ただそれは漠然とした感覚で、国の政策に関わる職業ならば、何か社会を良くしていけることもできるだろうと、なんとなく考えていましたが、具体的にどうすれば良くなるのか?ということに関しては良くて「偉くなってポストにつけば何かできるのでは?」「内閣総理大臣になるんだ」程度しか案がありませんでした(憲法9条はこうするべきだとか、日韓問題はこうするべきなど、それなりの意見はもっていましたが…)。ただ、よく考えてみてください。例えば、今日(日曜日でした)の私の行動を振り返ってみると、

・朝起きて、近くの喫茶店へいく。

・コーヒー、パン、ゆで卵を食べつつ、PCを使いながら、この記事を書き始める。

・場所を駅近くの喫茶店へ移し、現在行っている「浪人生の恋事情」のインタビューで、ボイスレコーダーを使いながら、インタビューイー(話し手)と会話。

・バッティングセンターに友人と行き、数本打ち込む。

・場所をさらに違う喫茶店へ移し、現在読んでいる「1986(小熊英二)」の続きを読む。

・お腹がすいたので、ご飯を食べると、携帯に別の友人からの着信、ともに仕事or勉強をすることになり、友人が自分の場所へ合流。

・記事の続きを現在書いている。

 こういったものでした。国や社会を支えていく、変えていく・・・と考えると何か壮大なことを思いつきがちですが、実際に特に変哲もない日常的な個人の生活に絞って考えてみると、個人の生活を支えているのは、喫茶店であり、バッティングセンターであり、また、コーヒーであり、ボイスレコーダーであり、本であるとも言えます。喫茶店も、バッティングセンターも、本もかつてはそのもの自体が「ない」という時代もありました。ボイスレコーダーがすごくコンパクトになり、私のような人が多用できるようになったのもここ数年のことです。

 しかしながら、官ではない、民の立場にいる人が、そういった便利な場所、日常品を創造することにより、私だけではなく、多くの人の生活を「変えたのだ」と言えます。もちろん、官は官という立場で、そういった民を支える大きな仕組み作りを行っており、社会にとってとても大切な役目なのですが、何をもって「社会が変わったのか?」ということを色々と考えてみると、必ずしも社会を変えているのは官ではなく、民である場合が多いのでは?ということにも気付かされます。

 しかしながら、大学までの教育の中では、主に「官」というものは国や社会の人々を支えていく立場にあり、「民」とくに企業は、金儲けが第一であり、仕事とは金を稼ぐためのものだ・・・という感覚を持ちがちになります。そのために、将来や大学への志望理由を考える際に、国や社会を変えていくならば「官」すなわち「公務員」であると短絡的に考えてしまう傾向が生まれているのではないでしょうか?

 例えばこの「洋々」さんも、AO入試をどう受験していけばいいのか?ということに悩んでいる受験生に対して、添削などのサービスを提供することで、そういった人々の悩みを解消している・・・という点では「社会を(部分的にですが)変えた」と言えます。「所詮はお金儲けなんでしょ?」と考える人もおられるかもしれません。しかしながら、新たなサービスを提供していくには、その人自身が「食べていく」必要があります。また、新しいサービスがどれほど求められているのか?ということはサービスを受け取る人から、お金をとることで初めて分かるものです。一昔前の高度経済成長期の日本では日々便利になる暮らしが実感としてあり、「お金をたくさん稼いだ方が良い」という認識の方が大きかったと言われていますが、物質的に不自由がなくなった今では、仕事そのものにやりがいを求める人が増え、「単なるお金儲け」を考える人は少なくなっているのではないでしょうか。

・社会起業という概念

 社会起業という言葉、概念を聞いたことがある方はおられるでしょうか?ソーシャルベンチャーとアメリカで言われて、そのように日本語訳された言葉ですが、たちまち日本全国へ広まり、私が通う慶應義塾大学SFCでも社会起業をテーマにした講義や研究会が展開されています。社会起業を行う人のことは一般的に、社会起業家と呼ばれますが、wikipediaでは以下のように表現されています。

社会起業家(しゃかいきぎょうか)は、社会変革(英: Social change)の担い手(チェンジメーカー)として、社会の課題を、事業により解決する人のことを言う。社会問題を認識し、社会変革を起こすために、ベンチャー企業を創造、組織化、経営するために、起業という手法を採るものを指す。(Wikipediaより

 先ほどの述べたような労働の価値観の違いもあいまって、最近では単なる金もうけではない、社会変革を目指して事業を展開する人が出てきた、あるいは実際には前からいたのかもしれませんが、言葉として定義されてきました。SFCの卒業生では、病児保育を行う事業を行う「フローレンス」代表の駒崎さんや、大学生と高校生が語り合う場づくりを行う事業を行うNPO法人「カタリバ」代表の今村さんがテレビの社会起業家特集では取り上げられています。ただ、社会起業について知識があると「貧困など重大な問題を抱えている人を助けていく事業」が社会起業なのであり、それ以外は「金儲けのビジネス」であると考えがちにもなります。

 実際には、「社会起業」という概念が何を指すのか、どこまでが「社会起業」的なビジネスで、どこまでが普通のビジネスなのか、そういったことははっきりと定義されていません。私が思うに、「社会起業」というものは捉え方の問題です。例え、大きな問題に悩む人を救えなくても、ちょっとした悩みを解消するあるいは、日々の生活を便利にするようなビジネスも広義の「社会起業」に入るものと思います。大切なのは、ビジネスの目的を「お金を稼ぐため」ととらえているのか、または「社会に新しいモノを提供していくため」ととらえているか、その違いであると思われます。そのため、たとえ一般的な「企業」であったも、十分社会起業を行っていると言え、サラリーマンも社会起業家であると考えることもできます。

・官を選ぶか?民を選ぶか?

 最近は「国や社会を変えるのは官ではなく民だ!」という意見を言う人がたくさん出てきました。国や社会を変えるのは官であると一方的に思われていた世の中であったため、そういった意見が台頭してきたのは非常に良いことであったように思います。ただ、忘れてはいけないのは、長らく国や社会を変えると言われていた「官」も、言われていただけに、やはり国や社会を大きな部分で変えていける仕事、役柄であるということ。具体的なレベルで、官に何ができるのか?民に何ができるのか?これらを考えた上で、将来の夢やそれに準ずる大学進学を考えていくことが大切ではないでしょうか。