第28回:体罰

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最近はやたら変な話題でもちきりですね、AKBのなんたらさんの坊主騒動、体罰騒動。
今日は体罰問題について僕の私見を書いていきたいと思います。
坊主さんにはあまり興味がないので。(笑)

さて、体罰そのものについては、僕はある程度ならOKだと思っています。
10代の子供なんて口で言ってすべてが分かるわけではない。
その場合は鉄拳制裁でようやく理解させてやるって必要もあるかもしれない。
ただ、その場合は線引きというものが大切です。子供に絶対に手を挙げない親なんてごく一部じゃないでしょうか。
僕はまだまだ子供側なのでわかりませんが。(笑)

そこで、どこまでが許される体罰なのか、どこからが虐待になるのか。
その線引きはセクハラと同様、法的に明記することはできない。
だからこそ「行き過ぎた体罰」が問題となって、
じゃあもう体罰そのものはだめなんだ!なんていうふうになってしまう。
スポーツの場合は部内戦で負けたチームが腕立て何回、とかもあるじゃないですか。これは体罰なんですか?
自分の性格から考えると、負けてわざわざみんなの前で筋トレさせられて、悔しい。
もっと頑張って見返してやる!という気持ちになるのですが。
もちろん、人によって反応は違いますので、あくまでも僕の場合は、です。

いろいろな場面があると思いますが、ある程度の体罰、暴力っていうのは許容されるべきだと思います。
個人の経験の話をすると、僕は小さいころ0と6を分かりにくく書いてしまうことが多々ありました。
あるとき父親にげんこつを喰らい、0と6それぞれ100回書き取りをさせられて、
その中でもまだ汚いのがあったのでもう100回書かされたことがあります。泣きながら書いていたことを覚えています。
結果僕は0や6を書くときは意識をするようになりました。もう殴られたくないし手を痛くして書き取りはしたくない。
少なくともこの体罰は僕には良い結果となってくれたと今では思っています。
もしこのとき父親の体罰がげんこつどころじゃなかったら、
もしかして違った結果だったかもしれませんし、虐待になっていたかもしれません。
神経質になりすぎることは問題ですが、やはり程度をわきまえるというのは何事でも大切ですね。

でも、某高校の本当の問題って自殺問題だと思うんです。若者の自殺者が増加している、
なんてことを良く聞きますが、いい加減どうにかしなくちゃならない。
逃れたい問題から自殺をして逃げるという道は一番してはいけない道
ということを誰かが教えてあげないといけない。少なくとも僕はそう思っています。
だって自殺をしたって物事の本質的に解決には繋がらないから。
貴重な命。奪いたくも失いたくもないものですね。
亡くなられた生徒さんにはご冥福をお祈り致します。

注. 一応指導員の一員として言いますが私は授業内で生徒に手をあげたこともあげるつもりもありません。
おそらく、クビになってしまいますから。(笑)
将来、子供ができたときには、教育の一環でげんこつをお見舞いすることはあるかもしれません。
そんなことする必要ない良い子に育ってくれると嬉しいですが。

更新:2013-02-08 慶應義塾大学 経済学部 大塚 拓也