第328回:いわて国体①~岩手・久慈について~

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今月9・10日に開催されたいわて国体に、神奈川県代表として出場した。結果は3回戦で千葉に2-1で負け、ベスト8。国体チックに言うと5位入賞であった。その試合内容等は次回に詳しく書くことにして、今回は開催地岩手県久慈市のことを書こうと思う。

 

「5年前の震災でボロボロになった我々に、たくさんの支援をして下さった他県の皆さまを、今回このように国体という形でお招きすることが出来て、本当に幸せです。ほんの少しではありますが、恩返しが出来たかなと思っております。」

閉会式の最後に、開催地・久慈市の市長が語った言葉が心にズシッと響いた。

今回の国体の柔道会場は久慈市だったが、僕らが宿泊したのは九戸郡だ。久慈から三陸海岸沿いを、バスで40~50分ほど南下したところである。4泊5日の岩手滞在中、何往復もしたこの三陸海岸沿いには、:設途中の防波堤、建物の跡地と思われる更地、仮説住宅群がチラホラと散見された。震災はまだ終わってないんだな、と痛感すると共に、いつの間にかそのことを記憶の奥底に沈めていた自分にドキッとした。

 

東日本大震災だけではない。久慈はこの大会の直前にも台風による甚大な被害を被った。選手たちが泊まる予定だったいくつかの宿泊施設や会場も、多かれ少なかれその被害にあったと聞いている。

試合前日の昼過ぎ、計量までの暇な時間に、会場となる体育館の裏にある土手をチームのみんなでブラブラ歩いた。土手の向う側には久慈川が流れている。川の流れに沿った土手を東に歩いていくと八戸線の橋が架かっている。水面から線路まで4mくらいはありそうだが、その線路の高さギリギリまで、先日の台風による大水に流されてきた土砂やら木片やらがビッシリ積み重なっていた。つまり線路も、線路と同じ高さにある僕らが歩いた土手も水に沈んだ訳だ。トラックやショベルカーが瓦礫を撤去して、橋げたを元の状態に戻そうと奮闘していた。見ていると、自然のエネルギーの大きさに比してそれらの作業はあまりに小さく、なだか呆然としてしまった。

 

そんなこんなで、今回の大会はいつにも増して感謝の気持ちを持って戦えたように思う。主に、大会を運営してくれる裏方さんやこの状況をつくってくれた方々への感謝である。東京に帰ってもこの気持ちを忘れずに、その環境を当たり前と思わずに、頑張っていこうと思った。久慈台風あと