第485回:青梅マラソン(1/5)

Pocket

2/16(日)、青梅マラソンに出場した。今年第54回ということで、日本で最初に始まった市民マラソンである。旧石原都知事に、「青梅なんてあんなチベットみたいなところじゃなく都心で」と日にちをぶつけて東京マラソンを開催される、なんて苦境を乗り越えて青梅マラソンは健在である。10kmと30kmの部があって、僕が出たのはもちろん30kmの方。青梅線の東青梅駅と河辺駅の真ん中くらいからスタートして、線路と多摩川の間を通る青梅街道を奥多摩の方へズーッと行って、奥多摩線の川井駅あたりで折り返して、河辺駅の青梅市総合体育館がゴール。「30kmならいけるでしょ」と思われるかもしれないけれど、この30km、とにかく坂ばっかり。基本的に奥多摩の山々の方に向かってひたすら登っていく非常にしんどいコースであることを理解してほしい。ちなみに僕の家の最寄り駅は青梅から奥多摩線で一つ行った宮ノ平駅、僕の通った小学校の最寄りはさらにその先の日向和田駅、同じく通った柔道教室はそれこそ今回ゴールの河辺駅の総合体育館。要するに僕にとっては地元中の地元、家の周りを走りまわるようなマラソンである。

昔から決して身体が軽い方ではなかった僕は、これまでの生涯を通じて走ることを苦手としてきた。「100kg超級の中では速い」なんて言われた時期もあったけれど、それは単純に周りの方々が僕以上に走ることを苦手としていただけで、人類平均で言えば僕は間違いなく走るのが遅いやつ。そもそも、同じ動作をひたすら繰り返す“走る”という運動を、どう楽しんだらいいのか分からないタイプである。“「走っているとき、何を考えればいいんですか?」と聞く人はたいてい走ることを苦手とする人だ“と村上春樹さんがどこかで書いていたけれど、僕は間違いなくそういう人なのだ。

そんな僕が今回走ることになった始まりは、会社の柔道部でたいへんお世話になった(今もお世話になっている)方に誘ってもらったことだ。40歳半ばで東京マラソンに当選して参加したことをキッカケに走ることにハマり、それ以来一年に一回は何かしらのマラソンを走って、もうすぐ50歳になるという方。ここではとりあえずSさんと呼ぶことにする。1回目か2回目かの東京マラソンでは4時間を切るタイムを持っていて、素人としてはなかなか本格的に走っている。第一志望はあくまで東京マラソンで、毎年応募活動をしているもののなかなか当たらず、今年は青梅に出ることにしたらしい。“青梅”と言えば、そこ出身の藤井の名前が頭に浮かんだようで「岳ももちろん走るよね?」と誘ってくれた。それが去年の9月。

僕はやるとなったら、苦手だなんだとダダをこねる前に(ダダもこねるけど)、自分にできる準備を淡々と積み重ねるタイプだ。引退してから今までただ“カッコいい身体”を目指して組んでいたトレーニングメニューを見直して、ウエイトトレーニングからランニングトレーニング中心にした。平日は一回に走る距離を長くして、週末は15~20kmは走るようにした。本番直前の調整としては、ノウハウを知らないので適当に2日前に8km、前日に4kmくらい走っておいた。

また体重100kg弱で山道を30kmも走ったら膝が爆発しそうだったから、年明けからは体重管理をした。体重管理といっても要は柔道家の減量。健康的に時間をかけてダイエットしたわけではなく、最後の10日くらいで5kgくらいを一気に落として本番前日には宣言通り90kgを切った。ちなみにこの体重は中学2年生ぶり。自分で言うのもなんだけど、間違いなく自分史上最高にキレた身体となった。