第75回:被災地ボランティア

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7月8日夜から9日夜まで政府主催の被災地ボランティアに参加した。夜11時に国会議事堂をバスで出て、次の日の朝、宮城県に到着。9時から15時まで作業をして、夜10時に国会で解散という0泊2日の旅。残念ながら現地の人と接することはなかったけど、色々なものを見たし感じた。考えたことはきりが無い。まとめられる範囲で文章にしてみる。

被災地と言えば、テレビですでに見慣れてしまったような、船が道路にあったり、見渡す限りガレキの山が続いていたり、を想像していた。だから最初に目的の街を見た時には、思っていたほどダメージを受けていないように思えた。畑にガレキが少し残っているものの道路などはものはだいたいは除去されてあったし、家々はだいたいちゃんと残っていた。しかし実際に家屋の中に入って見ると段々と分かってくる。壁にはあちこち大きく亀裂が入って穴が空いている。床上1.4メートルくらいの壁に黄色の真っ直ぐな線が壁にハッキリと入っている。家の中でその高さということは、この街には僕の身長くらいの波が来たということだ。ニュースで 「 ~メートルの津波 」 と大きな数字を聞きなれてしまったけど、実際に現地に立ってみるとその高さを全く想像出来ない。
巻き込んだ車や家やガレキを含んだ自分の身長分の波が。
海なんて全く見えないこの位置に。

休憩中に、少し落ち着いた目で周りを見渡すと、最初の印象よりもずっと異常な景色が広がってることに気が付いてくる。通りを挟んだ向かいの家を見ると、外形は留めているもののガラスは割れ、中の家具は引っかき回され、言葉通りドロドロの状態。玄関には、家人が現在住んでいる避難所を知らせる紙が貼ってあった。こちらの作業をしている家はまだ何とか住める状態なのに、ほんの数メートルの差で被害の大きさがまるで違う。その僅かな距離があの時、生と死を隔てていたと考えるとゾッとする。
家と家の間にあるもとの高さ1.5メートル程のコンクリート塀は、腰をかけるのにちょうどいいくらいまでグニャリと頭を垂れている。見ると、ヒビから雑草が生えてきている。炎天下の雑草は妙な静寂と生命を感じさせる。このシーンを、悲惨と言うのか美しいと言うのか分からないけど心がザワザワする。庭に倉庫があると思っていたのは、流れてきたものらしい。簡単には動かせない。見通しの無い 「 いつか 」 どかすつもりだと言う。

今回、我々の班は、床下に貯まってしまったヘドロの除去作業を手伝った。海水や下水を含んだ波が床下にヘドロを沈殿させる。パッと見るとただの黒い土なのだが、ほうっておくと家の基礎を腐らせ崩していくと言う。小さな穴から高さ0.4メートルくらいの床下に潜って、這いずりまわって、小さなシャベルで地面を削り取っていく。重労働だ。しかも防塵マスクとゴーグルを付けて長袖長ズボン長靴で。半端ないストレス空間で息が詰まりそうになる、らしい。何で 「 らしい 」 かと言うと、僕のような184センチ120キロの人間がそんな所に入れるはずもなく、上からサポートをすることしか出来なかったからだ。床穴から手の届く範囲を削ってしまうと、もうお手上げ。あとは下の人が取ったものを袋に詰めて庭に捨てに行く単純作業。ボランティア団体に適当に割り振られたわけだがちょっと不適材不適所。せっかくのバカ力持ち、どうせならガレキ除去とかした方が、、と思いながらも自分の出来ることを精一杯やってきた。

ボランティアに参加して一番感じることは、やっぱり自分の無力さ、復興の難しさ。僕たちは20人で半日働いて、一軒のヘドロを取っただけだ。これから断熱材取って床を抜いて作りなおすらしい。それをあと何軒。更に一から作らなきゃいけない家があと何軒。何百軒、何千軒。途方もない。この街だけで。もっと海に近付けばきっと更に悲惨な状態なのだろう。ボランティアだけでどうにかなるレベルでは無いけれど、今自分に出来ることはそれしかない。原発やら政府やらを批判する前にもっともっとたくさんの人間が力を合わせて実際に動き出さなきゃいけないと思う。

更新:2011-07-16
慶應義塾大学 総合政策学部 藤井 岳