第170回:桐朋柔道部
桐朋中高柔道部でお世話になった恩師が今年で定年を迎えられ、その座を下りられた。その 「 ありがとうございました会 」 が先週日曜日・19日、国立駅近くの小さなレストランで行われた。幹事の保護者の方は、だいたい僕の前後5年間くらいの卒業生と現役部員たち、およびその父母に声を掛けてくれたようで、そのこじんまりとした店がちょうど埋まる40人くらいが集まった。
僕の見た目があまりにも怖かったためか桐朋柔道部員は、僕の学年は僕一人だった。一個上と二個上の学年には一人もいなくて入学当初、中学生は僕だけ、みたいな状況だった。進学校柔道部にありがちな、本当に廃部寸前の部活だったのだ。けど、こうして元部員が一堂に会してみると、ここの柔道部もなかなか捨てたもんじゃなかったな、なんて思ったりした。まあ案の定、卒業後も柔道を続けている人間は僕だけのようだったけど。
今回退職された恩師の先生は言葉にするのが難しい、飄々として面白く優しく、それでいて予測不可能な、何とも不思議なオーラをまとった先生だった。学校の先生としては高等部の家庭科と体育を担当されていた。家庭科の先生だから柔道部の餅つき会などエプロン姿で颯爽とみんなの指揮をとられていた。
桐朋の部は人数が少なくてそれだけでは練習が足りなかった僕は、地元の他の柔道強豪高校や青梅の道場をメインに活動していた。そんな生意気で扱いにくい僕に対しても先生は常に優しく、試合の時は万全のサポートを下さり、結果を出すことに集中できる環境を作って下さった。
そんな先生との不思議な思い出話を一つ。
中学三年生の全国中学生大会@高知でのこと。決勝で負けて落ち込みながらの表彰式。準優勝者として名前を呼ばれ悔しさに歯を食いしばりつつ列の前に出てふと顔を上げると、正面のステージ上、厳つい重鎮達が座る来賓席、分厚い緞帳が垂れるその陰から、ぎこちなくカメラを向ける怪しげなオジサンが一人見えた。よく見れば見慣れた僕の先生だ。新聞や雑誌のちゃんと 「 記者 」 の腕章を付けたカメラマン達が選手の列の真横で押し合いへし合いシャッターを切っているのをよそに、許可が無ければ上がることなどできないはずの正面ステージから堂々と私の写真を撮る先生がいたのだ。いったいどうやってあそこまで登り詰めたのか、驚くやら可笑しいやら。とにかく僕はそんな愉快な不意打ちを食らって、いつの間にか落ち込んだ気持ちは消え、ふっと心が切り替わった。そんな、常識では捉えられない不思議な人物であった。
この部の卒業生の中で、そのままアホみたいに柔道やり続ける人間は僕が最初で最後かもしれない。予想通りみんなそれぞれ大企業経営とか医者とか法律家とか、大きな舞台で活躍している。いつか僕も大きく活躍して、桐朋柔道部OB柔道部門で凱旋できたら良いな、なんてね。
先生、桐朋柔道部の皆様、ありがとうございました。
慶應義塾大学 総合政策学部 藤井 岳