第183回:どんな自分を目指すのか
僕は東海大相模高校での3年間で、偉大なる先生や先輩たちからかけがえのないたくさんのことを学ばせてもらった。競技スポーツは結果が全てである。その意味も怖さも重々知った上で、どんなに凄い実績を残そうとも、日々の生活がダラしなければそんなものに意味はない、そういう教育を受けた。・・・叩き込まれた。
「 強い者ほど他に優しく、謙虚であれ 」
「 他人に行動して欲しければ、まず自分が行動せよ 」
輝かしい成績を残している人たち自身がこれを実践しているのを間近で見てきた。相模高校時代だけではない、日本をしょって世界と戦う諸先輩方は ( 後輩も )、僕のように辛うじて全日本にしがみついているような者に対しても本当に優しく、実に謙虚で、僕はいまだに日々そのことに驚いてしまう。比べれば僕はまだまだ人間としてほど遠く、そもそもそんな実績もないんだけど、少なくとも、どんな人間を目指すのかその具体像ははっきりとあって、それを目標に日々努力しているのだ。多くの方々の指導を得、力を借り、見守られながら、僕は本当に恵まれた人生を歩んできた。
なんて、何を今さらそんなカッコ良いこと言っちゃって、自慢しちゃって、と思われるかもしれない。しかし実は最近それを痛感させられることが多いのだ。それというのも。
柔道が強い者は弱い者より偉い。先輩は後輩より偉い。偉いものは道場を出ても偉い。そう考える輩がどうやら存外多いということを最近とみに感じるのだ。これはかなり危ない。阿呆に柔道という凶器を与えてしまったようなものだ。僕はそんな 「 柔道 」 が凄く残念だし、変えられない無力感がなかなか辛い。
かく言う僕自身だって、高校時代の指導や環境がなかったらどうなっていたかわからない。てっぺんなんか見たこともない 「 井の中 」 で威張りくさって、まさに歩く凶器だった可能性だってなくはない。
多分結局、教育なんだな。僕は幸運だった。指導者の重要性と危険性、色々と考えさせられる今日この頃である。
慶應義塾大学 総合政策学部 藤井 岳