第188回:文武両道という弱点
「慶應体育会って、なんだ?」
一昨日行われた慶應大学体育会主将会議で、こんな議題が挙げられた。
ちなみに体育会主将会議とは、慶應大学の体育会全部活の主将が一同に会し、それぞれの競技だけでなく体育会全体を盛り上げていこうという目的のもと、様々なディスカッションが行われる会議である。今回のこれは主に夏の間に行った方策や、その中で気が付いたことなどを共有する会であった。うちの部ではこんなことをしました~。なるほど~、それは面白いですね~、大変でしたね~、などなど一通りのことを話し合った後、最後に先の議題が議長から投げかけられたのだ。更に議長はこう続ける。
「 ある部活の部長先生が仰るには、文武両道を追求する集団である、と。武だけでない。文だけでない。それら両方を兼ね備えて初めて出来る発想や技術があるはず。慶應体育会はその力を活かして、競技や社会生活へ貢献することが出来る組織なのだと思う。」
なるほど、実践出来ているかどうかは別として、これは一理ある。
しかしその時ふと僕の頭の中に、今まで出会ったたくさんの人たちが浮かんでくる。柔道をそれぞれの人生の中心においている人たちだ。その人たちのイメージと、いつも疑問を抱いている慶應体育会のイメージが重なっていく。なんでもっと必死で頑張れないんだろう?なんでこう何もかも適当なんだろう? という体育会への疑問。適当な練習をこなし、そこで生まれた適当な仲間と適当に楽しみ、俺たち頑張ったね、青春だね、と自己満足する慶應体育会員ほとんどへの疑問だ。能力や結果を言っているのではない、気持ち、あるいは姿勢のことだ。
そうこうしている内に会議は進み、僕に発言の番が回ってくる。他のみんながポジティブな発言を残す中、一人反対するみたいであまり気乗りはしなかったけど、とりあえず自分の考えを喋ってみた。
「文武両道とは、我々の強みであると同時に弱みでもある。言い方は悪いが、武しかない者たちは、それに人生が掛かっている。競技の成績が進学にも就職にも直に繋がるから、死にもの狂いで頑張る。しかし慶應のほとんどの人間は卒業したら競技から離れ、主に文を活かして社会的に良いとされる企業に勤める。つまり僕たちには文があるために、そこに逃げることが出来てしまうのだ。当然先のような人たちとは必死さが違う。それが慶應体育会だ。文武両道とは、どっちも中途半端になっている僕達の弱点である。」
また柔道部のデカいのが面倒なこと言ってやがる、と周りからは思われたかもしれない。けど、僕の中では一つの疑問が上手く自己解決したような気がして、思いがけず意義のある会議となった。その自己解決なるものが、今までは漠然とした疑問であったことへの、この組織はもう仕方がない、という見切り的なものであったとしても。
僕はそこへ逃げ込むことはしまい、と心に誓った。僕に逃げ込むほどの「文」があったとしての話だが・・・
慶應義塾大学 総合政策学部 藤井 岳