第260回:燃えよ剣

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 新撰組ってのは、つくづく時代の空気を読めない集団だったのだな。と言うより、時代の空気などどうでも良かったのだろう。ただ盲目的に将軍のために戦う戦闘集団に、日本全体にとっての利益は関係ない。民主主義の時代に生まれ、それを当たり前に育った我々ゆとり世代に封建時代の考え方は理解できないと言われればそれまでだけど、あるいは多摩の百姓の子として育った彼らに政治を考えろというのは無理な話かもしれないけれど、とにかく自らの思考を持たない組織であったことは確かだ。
 加えて、とにかくすぐ人を斬る連中だ。敵はもちろん、何かやらかした味方にも、ちょっと怪しいと、あるいは邪魔だと、すぐに斬り捨て、切腹させる。証拠や裏付けなど関係ない。「疑わしきは罰せず」はない。まったく生き辛い危ない世界だ。

 それでも、共感出来る部分が無い訳ではない。
 田舎出の世間知らずがいつの間にか全国的な大舞台に上がっていて、「俺らヤバくね?」とピヨピヨしちゃう純粋な気持ち。青梅市民柔道大会しか知らなかった僕が、中学でいきなり全中に出ちゃった時みたい。
 また根本的に、150年経った今に生きる僕らだから冒頭のように批判出来るわけで、自分が幕末期に生きていたらどんな働きが出来たのか?と考えてみる。坂本龍馬とか勝海舟みたいに大局的に物を考え賢いことが出来たら万々歳だけど、頭固いから多分無理だろう。中途半端な体育会的忠義精神を出して力自慢で新撰組に入って、負けそうになったら逃げ出して、歳三に斬られるくらいの人生になりそうだ。

 こんなことを考えながら、司馬遼太郎の「燃えよ剣」を読んだ。例のKindleで。次に読み始めているのは川端康成の「雪国」だ。教養強化作戦はつづく。

更新:2015-04-09
慶應義塾大学 総合政策学部 藤井 岳