第113回:生け贄は残酷な儀式?

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 生け贄やどくろなど、マヤ文明というと血なまぐさくオドロオドロしいイメージがついてまわりますが、実際にはマヤ族は平和主義で、マヤ文明に影響を及ぼしたコルテカ文明が好戦的で生け贄などの儀式を頻繁に行っていたようです。チチェンイッツァの北にあるセノーテ、聖なる泉へと行ったのですがそこで生け贄が捧げられていたらしく雨の神様に雨期をもたらしてもらうよう頼んでいたそうです。一般的には女性が、生け贄として捧げられていたと信じられていますが、発見された人骨は全て男性のもので、もしかすると神に捧げられる物ということで男性の位の高い人物が捧げられていたのではないか、という推測もあるようです。名誉な行為として受け入れられた可能性もあるわけですね。生け贄というと、残酷!と思ってしまいますが、彼らの中で崇高な名誉ある行為だとしたら、生け贄の捉え方が変わってくるかもしれません。

 他にも、サッカーのような球技のゲームで敗者が殺されていた、という推測があるそうですが、実は勝者が、それもリーダーが栄誉ある行為として死んでいたのではないか、という憶測が出てきているそうです。考古学は、特にマヤ文明の場合は資料が少ないこともあり憶測の域を出ませんが、想像力をかきたてられる学問です。資料を発掘して、自分の仮説を立証していく。科学と同じですね。

更新:2011/05/16
早稲田大学 国際教養学部(SILS) 小林 綾