第129回:海外から見た日本

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 こんにちは。お盆が過ぎ、これから段々秋へと移行していくでしょう。暑さ寒さも彼岸まで、となってほしいところです。

 先日、ある番組で日本の文化を海外メディアが紹介するという特集をやっていました。アフリカの小国からTV局が日本紹介番組を作るとのことでした。平均年収2万円のその小さな国で放映してもTVを持っている人、さらにはその中で日本を訪れる人などほんの一握りのはずです。なぜ放送するのかわかりませんが、その番組がとても興味深いです。

 何がって、アフリカの人たちが日本を見た時に、まさに私たちがアフリカの慣れない文化を見ているときと同じような反応をしているのです。例えば、たこ。内陸のその国ではたこを見たことがないため、うねうね動くその生物にうえぇーっと眉根を寄せてみていました。他にも「日本では外食する人が多い」や「真面目に働いている」等、日本人にとって当たり前の光景が向こうの人にとっては全て驚き。事細かに説明されています。江戸切り子を見ていたディレクターは、なぜグラスにキズをわざわざつけるのか、と疑問を抱いていました。

 番組の最後にこんなことを言っていました。「日本は独自の文化と言語をちゃんと守っている」と。イギリスの植民地だったその国では英語が公用語となっています。その背景から出たのでしょうが、嬉しい言葉です。しかし、こうも言っています。欧米化されている国が多い中、日本はされていない、伝統文化が今も息づいてる、と。ちょっと耳の痛い言葉ですね。日本人の私たちからすると、西欧化されたところばかりが目についてしまいます。大きなMの看板やコーヒーショップなど。観光立国をめざす日本としては、他のアジア国と文化の差をつけるためにも独自の文化をきちんと守っていかなくてはいけません。

 もちろん言語も文化の一部ですから、日本語も守っていかなくてはいけません。日本の場合は、アフリカの国と違って敵は外よりも内からやってきます。杉浦日向子さんの『一日江戸人』の中の江戸人が想像した未来図にはこうあります。「日本語が乱れ、通言(業界用語)が流行り、ついには、得体の知れないカタカナ言葉が横行する。」当時の人はグローバリゼーションを予見していたわけではないでしょうが(鎖国していましたしね)、現に今外来語が増えてITの分野などでも業界用語とカタカナ語がやたらと使用されています。言語は常に変化しているので、昔のままでいろ、変わるな、とは言いません。スラングや今の流行としてカタカナ語を楽しむのはいいと思います。ですが過剰なカタカナ語の使用はどうもしっくりこない。何よりわかりにくいです。

 外来語が氾濫している現状に慣れきってしまい、番組ディレクターの言葉に耳が痛い、と感じなくなることが一番怖い。そうならないよう、日本文化と言語を見つめ直していきたいですね。

更新:2011-08-19
早稲田大学 国際教養学部(SILS) 小林 綾