第198回:ディズニーランド化

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 こんにちは。今週は東京では息が白くなるくらい冷え込んできましたね。インフルエンザや流行しているノロウィルスに気をつけたいところです。
  先日、文化人類学の授業で観光開発について学んでいると「ディズニーランド化」という単語が出てきました。資源を訪れる観光客が楽しめる施設(エンターテインメントのための場所)として開発することを指すようです。これは、もともと古くからある観光資源を開発する際に、本来の目的よりも観光のほうに重点を置いてしまうことから生じます。
 この単語を聞いて、私が今年の夏にベトナムを訪れた際に感じた違和感が明確になりました。クチトンネルを訪れた時のことです。クチトンネルでは、ベトナム戦争時のゲリラ兵がいかに米兵と戦っていたのかがわかるような展示になっています。生々しいトラップ、実際に暮らしたり隠れるために使っていた地下トンネルや戦車を見ることができます。日本語を話すガイドの方が案内してくれたのですが、淡々とした口調で一つ一つのトラップや戦車を紹介していきます。そして、決まって「イッショニオシャシンドウゾー」と言うのです。戦争の資料が展示されている場所において、ピースと笑顔で写るわけにもいかないので、言われた観光客も困り顔です。
 写真だけではなく、実際にライフル銃を有料で体験できるコーナーも設けてありました。ほんの40年ほど前に戦争が起きていた地で、遊びとしてライフルを撃つということに非常に衝撃を受けました。1つには、ベトナム戦争がベトナム人にとっては「負の歴史」として認識されていないだろうということです。だからこそ、写真やライフル体験をする人がいるのでしょう。ただそれだけではなく、これが一番大きな要因だと思うのですが、まさにクチトンネルもディズニー化されていたのではないでしょうか。ただ見るだけの場所ではなく、観光客が「楽しめる」場所として開発していったのだろうと思います。どんな観光資源も観光客をもてなすための開発ではなく、その土地に住む人々にとってどのような意味があるのかがわかるように、そして従来の価値を無理やり変えることなく開発してほしいものですね。

更新:2012-12-15
早稲田大学 国際教養学部(SILS) 小林 綾