第42回:定言命法

未分類

受験も、プログラミングも、どんな物事もそうだが、一つの物事にじっくりと取り掛かるというのは、単純ではない仕事だ。途中で投げ出すことなく、何が何でもやるという「モチベーション」。目標を定め、実行するための見積もりをする「冷静さ」。そして、どんなことがあろうとも見積もりの通りに動くという「過去の自分への忠実さ・誠実さ」が要求される。

この三つのどれが欠けてもダメだ。それはプログラマーとして生活していると強く感じること。

モチベーションだけが存在するような物事は、周期的に襲ってくるような「他のモチベーション(プログラミングなんてやめて、海にでも行ってしまおうか、そっちのほうが良い経験になるだろうし・・・)」にすぐに侵略されて消滅する。見積もりが正しくないプロジェクトに参加することは、たとえ自分がリーダーであっても、自分ひとりで「やる」と決めた物事であっても、必ず破綻するか、精神あるいは身体を害する。見積もりの不備から来るいくつかのほころびが、現実的スケジュールを圧迫したり、モチベーションを低下させたりする。

そして、何よりも大事なのは「過去の自分への忠実さ、誠実さ」だ。これだけは絶対に失くしてはいけない。「見積もりを修正する」ことなら、いくらでもこまめにやると良い。だが、「プロジェクトを破棄する」のは敬意を持って行うべきだ。小学生のころ、プロのサッカー選手になりたい、そのために毎日サッカーを練習すると決めたとする。今、プロサッカー選手になれない自分がいたとして、「あれは馬鹿な理想だった」と思うのが正しいだろうか?
見積もりを正しく修正しながら、過去の自分に誠実に、モチベーションを保ち続けて毎日練習をしていれば、プロのサッカー選手になれたと思うのが正しいだろう。

過去の哲学者で、イマニエル・カントという人がいた。この人は、「何が善/正義」か、という哲学の命題に対して、「定言命法」という手法を編み出した。詳しいそのテーゼは何百冊の書籍を読み込まないと語れないようなものだが、大雑把に言えば、

「何が正義で、何が行うべきことなのかは、その瞬間の理性と悟性と感性の影響を受ける。即時的な判断が恒久的な正義とは絶対になりえない。『やると決めたことをやる』、それだけが正しい」

といったことを言っている。僕はこれに全面的に賛同したい。

もちろん、「破棄することを慎重にする」ことが求められるのだから、当然、「決定することも慎重」でなくてはならない。適当なことを日々考えて、破棄するような思考プロセスとは別の話だ。

更新:2013-06-17 慶應義塾大学 環境情報学部 中園 翔