第3回:インターフェースについて・1
「デジタル・ディバイド」という言葉を聞いたことがありますか? 最近になってよく、新聞などで見かけることが増えたかもしれません。この言葉は、 「若者とお年寄りの間の、機械やコンピュータを使いこなせるかどうか、の違い、そしてそれによる貧富や生活の質の差」のこと、というのが一般的な意味だと思う。 もっと広義なところでは、男性と女性、職業でパソコンを扱う人、扱わない人の間の違い、とか。インフラのある国家と無い国家、というレベルでも考えられる。
僕の知る限りでは、この言葉は「情報格差」として、2000年台初頭から、つい最近に至るまで、よく取り扱われている、インターネットと社会をめぐるキーワードだ。
問題は上記の通り。それでは、このデジタル・ディバイドを埋めようという取り組みはどこにあるのか。問題は取り上げるだけでは意味がない。 今日は、「デジタル・ディバイドの問題解決」はどこにあるのかという話。
お年寄りのためのパソコン講座を開いたり、途上国にいきなりインターネットの網を張り巡らせても、それにちゃんとした意味はない。
結局のところ、「なぜ格差があるのか」はケースバイケースで、彼らは「情報弱者」である以前に、何かの「弱者」なのだ。
だから、お年寄りのためにはより使いやすいパソコンを。途上国にはより安価でローコストなインフラと端末を。そういった配慮が常になされなければいけないのは、いわゆるデザインや福祉の概念である「ノーマライゼーション」と同じこと。
いまやインターネットは、場合によりけりではあるが必要不可欠なインフラ。それなら、その機械であるコンピュータは、もっと福祉やデザインの観点を取り入れて、いまの無機質な形から変わっていかなくちゃいけないと思う。
これを「人間工学」とか、「インターフェース」といった言葉であらわしたりするのだが、そこらの詳しいお話は、また次回。