瘠我慢の説


福澤諭吉は明治24年に「瘠我慢の説」として、元々幕府側で重要な任務を担っていた勝海舟や榎本武揚が維新後も新政府で重要な職に就いていることを痛烈に批判する文章を両氏に送っている。勝海舟については無血開城の手腕に対する一定の評価をしつつも、三河武士のごとく家を守るために最後まで戦い抜くべきだった、今からでも新政府による官爵や利禄を捨てて表舞台から去るべき、と断じている。榎本武揚については負けるとわかっていても箱館まで脱走して官軍に対して最後まで抵抗したことを「あっぱれの振る舞い」として評価しつつも、その脱走が失敗に終わった時点で政治上の死としてすべて身を引くべきだったと、こちらもまた新政府に仕えて華族になったことを厳しく非難している。

徳川家に対して一度忠誠を使ったのであれば、形勢が悪くなろうとも最後まで戦うべき、それが福澤諭吉の言うところの瘠せ我慢だ。それを途中で諦める、ましてや、戦いが終わった後に元々の敵に仕えるというのは武士道の精神に反する、一時的には日本のためによいかもしれないが、長い目で見るとマイナスの方が大きいと主張する。

福澤諭吉の主張は尤もなところもあり心情的には「瘠我慢の説」に共感しやすい。しかし、たとえば日本が国としての独立をかけて列強各国と伍していく必要があるときに能力の高い人材がかつての敵だからと言って隠居してしまうのは勿体ないようにも思う。勝海舟にしても榎本武揚にしても新政府内で活躍する場があるのであれば、それは双方にとってメリットが大きい。瘠せ我慢も大事だが、時には実を取るような柔軟で合理的な行動が望ましいこともある。

とはいえ、先日行われた第48回衆議院議員選挙では合理的に過ぎるように見える行動が多く、結果をみるとそれは有権者に見透かされていたようだ。分裂した民進党から希望の党に合流した元議員は大苦戦した一方で、残された議員を中心に結成された立憲民主党は公示前の15議席から55議席獲得へと躍進した。希望の党に合流せず無所属で立候補した元民進党議員たちの勝率も高かった。いずれもそれぞれのやむを得ない状況があるはずで、希望の党に合流した人たちすべてが節操なく勝ち馬に乗ろうとしていていたわけでもないだろうし、立憲民主党を結成した人たちが皆、瘠せ我慢をしていたわけでもないとは思うが、そういう面はあったと思うし、少なくとも多くの人からはそのように見られていたことが今回の選挙の結果につながった。

どこまでも頑固に自分のポリシーを押し通す必要はないし、特に政治家には柔軟性も求められるが、合理的に動く人が多い今の時代だからこそ時には瘠せ我慢も求められる。