わかった!という感覚(Aha! moment)は気持ちのいいものだが、逆にわからないともやもやして気持ち悪い。残念ながら学習の過程ではAha!の瞬間よりも「気持ち悪い」状態の時間の方が圧倒的に長い。新しく学ぼうとすることは何であっても自分にとって掴みづらい、もやもやしたものだ。もやもやしてなかったらそれは自分がすでにある程度理解していることで全くの新しい学びではない。 わからないことの気持ち悪さはうまくいけば理解したいという欲求を生み、人を学びの方向に促すことになる。順調に学習が進み理解に至れば [→続きを読む]

絵を描くのでも小説を書くのでも、新しいWebサイトを作成するのでも新しい商品を開発するのでも、あるいはブログの記事を書くのでも、もちろん、志望理由書を作成するのでも、ゼロから何か新しいものを作るのは楽しそうに見えることもあるが実際のところはとても苦しいプロセスであることが多い。一旦完成するとそこに至るのが必然だったような感じもしてくるが、完成形が見えていない中で進んでいくのは、曖昧で掴みどころがない感じがして、常にもやもや感がつきまとう、なかなかしんどいプロセスだ。同じ作るのでも、たとえばレシピ [→続きを読む]

数学の問題にはいろいろな解き方があるが1つ習得して自分のものにすることができるとその方法に頼るようになる。似たような問題は大体解けるからますますその方法が気に入り、使えば使うほどさらに巧みに使いこなせるようになる。勝ちパターンのようなものができて自分の強みになる。ただ、頼り過ぎてしまうとそれが最適でない場合でもその方法で問題を解こうとするようになる。 ソフトウェアのコードを書くときも同じでまずは1つの方法で実現したいことができるようになる。こうすればできる、というのが自分の中で固まってくるとその [→続きを読む]

日本で裁判員制度が導入されてから今月で15年になる。これまで12万人を超える人が裁判員や補充裁判員を務めたという。抽選で名簿に載った裁判員候補者は裁判所で行われる選任手続きを経て事件ごとにさらなる抽選で裁判員に選ばれる。辞退する人が多いなど課題はいろいろあるようだが戸倉三郎最高裁長官の「導入以来おおむね安定的かつ順調に運営されている」という見解に違和感はない。裁判員制度が成り立つのはすべての人が対等であることが前提になっている。法律の知識がないと裁判員に選ばれても物怖じしてしまいそうだが、自分な [→続きを読む]

中高6年間いわゆる進学校に通ったがどちらかというと放任な感じで勉強を強制されるような感じではなかった。高2の冬くらいまでは試験前の一夜漬け以外いわゆる勉強をした覚えがあまりないし、周りも似たような感じだった。それでも多くの同級生が難関と呼ばれる大学に合格していったのは中学受験の時に蓄積したものがあるのと、いわゆる「勉強」ではない形での学びを積み上げていたことによるのだろう。 「勉強」以外の学びの代表例は読書だ。進学校だからといって皆が本を読むわけではないが一般的な中高生の平均より読書量は多かった [→続きを読む]

慶應義塾大学法学部のFIT入試という総合型選抜では模擬講義を受けた上でその内容を踏まえて論述する、という試験が課される。50分の講義中にはメモを取ることができ、講義後の論述中もそのメモを参照できるようになっている。試験後メモは論述の回答用紙とともに回収される。メモ自体が採点の対象になるかどうかは不明だが論述する上でメモが重要であるのは間違いない。論述のために与えられる時間は45分で字数制限はないが例年の合格者はおそらく1,000字以上は書いている。45分で1,000字以上書くとなると文章の構成に [→続きを読む]

京都大学が入学者選抜に女性募集枠を設定することを先月発表した。2026年度入試(現高2生が受ける入試)より従来からある特色入試に加える形で理学部で15名、工学部で24名、女子に限定して募集を行うという。女子枠には公平性の観点から賛否両論あるが、今の男子過多の状態をいびつな形と捉えるのであればそれをできるだけ早く修正するために定員の一定数を女子に割り当てるのは悪いことではないと思う。 ここで注目したいのは女子枠ではなく、試験の内容だ。工学部の女子枠は学校推薦型選抜で書類と共通テストで審査され、共通 [→続きを読む]