749日ぶりの勝利を挙げ二刀流が復活しつつある大谷翔平選手も試合のときのピッチングは練習のときと変わるという。試合になると練習のときとは力の入り方が異なるそうで練習の時には出ない160kmが試合では自然に力が入って出たりするそうだ。どんなに試合を想定して練習しても実戦はやはり違うらしい。試合を想定して練習しろ、練習だと思って試合しろ、というのはよく言われることだが、簡単ではないようだ。世界ナンバーワンの選手でも練習では試合の強度を試すことができないというのは興味深い。本当に本気になるためには球場 [→続きを読む]

総合型選抜の出願書類の準備のサポートをしていると最終段階でこれで提出していいか、とGoサインを求められることがよくある。こちらとしては、伝えるべきことはすべて伝えた、あとは自分がよいと思ったら出願して、という言い方をせざるを得ない。最終判断を本人に任せるのは、責任を逃れたいからではなく、出願書類はその受講生の作品で、責任も手柄も本人のものであるべきだと考えるからだ。自分の志望校を決める上でも塾や保護者に頼りたがる受験生も多い。志望理由を聞くと親が受けろと言ったから、と答える受講生もいる。 自分で [→続きを読む]

競馬では実績のある騎手が強い馬を任せられることが多い。そうすると実績のある騎手は勝てる可能性が高まり、ますます実績を積み重ねやすくなる。一定の地位を築くと安定して勝ちやすい仕組みになっている(もちろん地位をキープするためには不断の努力が必要でプレッシャーも大きいであろうことは想像に難くない)。一方で実績のない騎手が大きなレースで勝つのは簡単ではない。強い馬に騎乗させてもらえる機会はそうそうない。少ないチャンスをものにしてのし上がっていくしかない。 囲碁や将棋のタイトル戦は順位戦や予選を勝ち進まな [→続きを読む]

早稲田大学国際教養学部(SILS)の今年のAO入試(国内選考)では、志望理由書を事前に提出するのではなく、「志望理由に関するエッセイ」を当日試験会場において30分で書くことになっている。「中学卒業以降のご自身の体験、経験、取組内容を踏まえ、当日問題内で提示される主題と関連付けて、国際教養学部を志望する理由を論理的に記述する」とある。今年初めての試みということもありサンプル問題も公開されている。19世紀のイギリスの哲学者J.S.ミルが大学では「専門職の知識」よりも「一般教養」を学ぶべき、としている [→続きを読む]

スイスの大学では入学試験がなく行きたい大学に行ける、とスイス在住の友人から聞いたことがある。大学によってレベルの高い低いはあるが皆がレベルの高いところに行きたがるのではなく自分に合ったところを目指す、レベルの高いところは大学での学業についていくのが大変なのでself-selectionによって大体は自分のレベルに合った進学先を選んでいる、という。スイスにも名門と呼ばれ世界的にも名の通った大学があるがそういうところでも選抜を行わずに入学希望者が一定の人数に収まっているそうだ。 日本の大学受験の競争 [→続きを読む]

日本の高校の数学の授業で電卓を使うことはあまりないと思うが海外の高校では電卓の使用が前提となっているところも珍しくない。アメリカの大学の進学適性試験として利用されるSATは半分が数学の問題で構成されているがそこでは電卓の利用が認められている。 実際のところ高校レベルの数学の問題に電卓が役に立つような場面はあまりない。東大の入試で電卓を持ち込み可にしても使う人はいないだろう。もし電卓が活用できるような問題があれば、逆にそれは数学の問題としてふさわしいのか、と疑問に思ってしまう。数学の本質は計算では [→続きを読む]

ソフトウェアのコードを書くときに最近CopilotというAI機能を使うようになった。これから書こうとするコードを予測して補完してくれるし、想定通りにコードが動かないときに質問すると原因を的確に指摘してくれる。どうやって実現すればいいかわからないときに相談すればなるほどと思うことを提案してくれる。副操縦士と呼ぶには自分よりはるかにできるし役に立つ。これまでネットで検索して調べていたことがその必要がなくなるだけでなく自分のコードに合わせた回答を得ることができる。問題解決までの時間はだいぶ短くなって生 [→続きを読む]