自分で文章を書く


日本の高校の数学の授業で電卓を使うことはあまりないと思うが海外の高校では電卓の使用が前提となっているところも珍しくない。アメリカの大学の進学適性試験として利用されるSATは半分が数学の問題で構成されているがそこでは電卓の利用が認められている。

実際のところ高校レベルの数学の問題に電卓が役に立つような場面はあまりない。東大の入試で電卓を持ち込み可にしても使う人はいないだろう。もし電卓が活用できるような問題があれば、逆にそれは数学の問題としてふさわしいのか、と疑問に思ってしまう。数学の本質は計算ではない。ただ、小学校で習う算数は計算が重要だ。電卓があれば活用できる場面は多いだろうが、そこで電卓を使ってしまうと自分で計算する力を身に着けられないままになってしまう。逆に小学校(+中学校の一部)に通ううちに計算能力をしっかり身に着けていれば、それ以降は計算すること自体は省いても差し支えないことも多い。たとえば物理や化学の実験や中学校の「技術」において計算をすること自体が学びの本質でない場合は時間短縮のために電卓を使ってもいいだろう。

学びの場面で電卓以上に頼ってしまいそうで、かつ、破壊力が大きいのが生成AIだ。自分で文章を書くべきときにAIに頼ってしまうと自分の文章作成能力向上の機会が奪われることになる。計算を電卓に頼る以上に危険な行為だ。算数から数学に移っていく中で計算そのものの重要性は徐々に薄れていくのに対し、求められる文章作成能力は小学生から高校生にかけて高度化し重要度は高まっていく。加えて文章作成は思考にも密接に結びつくので、この科目であればAIで文章を作成してもいいという場面はあまりない。たとえば国語以外の科目でレポートを作成する際も文章の構成やストーリーを考えること自体が学びの本質になり得る。「7世紀から8世紀にかけて、中国文化の受容のあり方や担い手はどのように変化し、その背景には何があったか」(東大入試日本史・2025)という質問に答える際に自分で考えて文章を組み立てることは自分自身の理解のために知識と同じかそれ以上に重要になる。

文章を作成することは簡単なことではなく負荷がかかる。それゆえに生成AIを使う誘惑に駆られそうだが、負荷がかかるからこそ成長の余地がある。そこで自身の考える力、書く力を身に着けていけるかどうかがその後の知的能力の伸びに大きく影響する。


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