自民党の総裁選が告示され過去最高の9人が立候補を届け出た。実質的に次期首相を決める、重要な選挙だが党員以外の一般人に投票権はない。とはいえ、投票権のある議員にとって次の選挙で自身が当選するために国民からの支持率が高い人に党首になってもらうことはとても重要で国民の声はそれなりに尊重される。それぞれの候補者にとって直接的に重要なのは議員票と党員票でそのためのアピールが最優先にはなるが、それらを得るためには国民の支持も必要になるので内輪だけの選挙にはならず票にはならないものの外向けのアピールもする。3 [→続きを読む]

初めて科目としての「歴史」を学んだとき、それは過去の出来事を点で知ることだった。1192年に初めて武家政権ができた、1590年に豊臣秀吉が天下統一した、1867年に大政奉還が行われた、等。その意味を深く考えることはせず、とりあえず言われるままに覚えた。出来事や実施されたことの内容も箇条書きのような感じで覚えた。豊臣秀吉が実施したことは検地と刀狩り、明治政府は版籍奉還・廃藩置県を実施し学制・徴兵制度を整備した、というような感じで。なので「歴史」は暗記科目、と今の中高生が言うのは無理のないことだと思 [→続きを読む]

自分自身いかに時間を効果的に使うか、ということを常々考えてきたような気がするのに、最近のタイパ重視の考え方に違和感を覚えるのは、それがただ単に時間を短縮する方向に向きがちだからだ。動画を倍速で視聴したり、本の要約だけ読んだり、同じパフォーマンスをより短い時間で得ようとする。コスパでもタイパでも分母のコストやタイムは測定しやすい一方で分子のパフォーマンスを測定するのは難しい。ついつい測定しやすい方に注目するので安い方、短い方に向かいがちだ。費用や時間の削減によって単位当たりのパフォーマンス向上につ [→続きを読む]

百聞は一見に如かず、とは言うが、実際に見たからといって理解ができるとは限らない。見えているようであまり見えていないこともある。海外の国を初めて訪れると自分の知っている人とは違うタイプの人に出会ったり、これまで見たことのない自然や文化に触れたり、大いに刺激を受け、強く印象に残る。現地に行くと五感でその国のことを感じることができる。その地に行ってみないとわからないことが確かにある。ただ、現地に行けば何でもわかるかというとそうでもない。むしろ現地に行ってわかることは表面的なことが多く、その国の歴史的背 [→続きを読む]

わかった!という感覚(Aha! moment)は気持ちのいいものだが、逆にわからないともやもやして気持ち悪い。残念ながら学習の過程ではAha!の瞬間よりも「気持ち悪い」状態の時間の方が圧倒的に長い。新しく学ぼうとすることは何であっても自分にとって掴みづらい、もやもやしたものだ。もやもやしてなかったらそれは自分がすでにある程度理解していることで全くの新しい学びではない。 わからないことの気持ち悪さはうまくいけば理解したいという欲求を生み、人を学びの方向に促すことになる。順調に学習が進み理解に至れば [→続きを読む]

絵を描くのでも小説を書くのでも、新しいWebサイトを作成するのでも新しい商品を開発するのでも、あるいはブログの記事を書くのでも、もちろん、志望理由書を作成するのでも、ゼロから何か新しいものを作るのは楽しそうに見えることもあるが実際のところはとても苦しいプロセスであることが多い。一旦完成するとそこに至るのが必然だったような感じもしてくるが、完成形が見えていない中で進んでいくのは、曖昧で掴みどころがない感じがして、常にもやもや感がつきまとう、なかなかしんどいプロセスだ。同じ作るのでも、たとえばレシピ [→続きを読む]

数学の問題にはいろいろな解き方があるが1つ習得して自分のものにすることができるとその方法に頼るようになる。似たような問題は大体解けるからますますその方法が気に入り、使えば使うほどさらに巧みに使いこなせるようになる。勝ちパターンのようなものができて自分の強みになる。ただ、頼り過ぎてしまうとそれが最適でない場合でもその方法で問題を解こうとするようになる。 ソフトウェアのコードを書くときも同じでまずは1つの方法で実現したいことができるようになる。こうすればできる、というのが自分の中で固まってくるとその [→続きを読む]