主張は大事だけど
おそらくまだ小学生になる前のことで記憶も曖昧だが、近所に住む友達が家に遊びに来た際に、部屋のタンスについている耐震用のベルトについて以下のような会話を交わした覚えがある。
友達「あんなところにベルトがついてる」
私(少し得意げに)「地震のときにタンスを支えるためだよ」
友達(挑戦的に)「あんなベルトじゃ大きな地震がきたら支えられないよ」
私(不安げに)「大丈夫だよ。タンスの中にあるベルトだって地震がきても切れないでしょ?」
もちろん「私」の主張はロジカルでない。しかしその友達は私に対して正しく反論できなかった。同じベルトでどちらもタンスに関係しているのになぜ違いが出るのか?タンスを支えるベルトはタンスが倒れる時に負荷がかかるのに対し、タンスの中にあるベルトには負荷がかからない。よって、タンスの中のベルトが切れなくてもタンスを支えているベルトは負荷がかかって切れる可能性がある、というのが正しい反論だ。しかし、何となく間違っていることがわかっていてもそれを的確に指摘することは大人であっても難しいことがある。
囲碁で定石を覚えて、その通りにこっちが打っているのに、相手がその定石を知らずに違う手を打ってきた場合、それを咎める手を打たなければいけない。しかし、私のように弱い打ち手の場合、何かおかしいというのはわかっても、それをどう咎めていいのかわからないことがある。これでは定石を覚える意味が半減してしまうし、そもそも「定石を覚えている」といってはいけないレベルなのかもしれない。その定石の意味をしっかりと理解していれば、そうでない手を打ってきた場合、それを咎める手を思いつくはずだ。
ビジネスでも政治でも自分の主張が大事だ。多少論理性に欠けても大きな声で押し通す方が有効なことが多い。すぐに反論しないと攻められるばかりで自分の陣地が無くなってしまう。だから大きな声で(できれば論理的に)自分の意見を主張していくことは必要である。
しかし、一方で、逆に議論で言いくるめられた方が間違っているとは限らない。数学や物理学のように本当の意味での厳密なロジックが必要な場合はともかく日常ビジネス上の説明や説得のために使われるロジックは基本的に不完全だ。ベルトの例ほどではないにしてもロジカルとは言えない主張を受けて、それに対して明確な反論ができなかったからといってその人が間違っているとは限らない。主張をぶつけて議論した結果、お互いが納得いく形で結論を出す場合はよいが、ゴリ押しした方が得をするような状況はできる限り作りたくない。
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洋々代表。日本アイ・ビー・エム株式会社にて、海外のエンジニアに対する技術支援を行う。その後、eラーニングを中心とした教材開発に、コンテンツ・システムの両面から携わる。 東京大学工学部電子情報工学科卒。ロンドンビジネススクール経営学修士(MBA)。