仮説と理論


子どもの頃、世の中はもっと安定しているものだと考えていた。親や先生は正しくて、いろいろなことがかちっと決まっていると思っていた。時代の違いもあるがそれだけではない。いろいろなことを知るにつれて実際は人間が不安定な世界に生きていることを理解するようになる。ずっと前からそこにある安定した存在だと思っていたものや事柄が実はまだ完全には信頼できない不安定なものだと知る。

世の中に理論と呼ばれているものは数多くあるがその大半は実は仮説である。事象から帰納的に導かれた理論はすべて仮説といってよい。厳密で正しそうに見える物理学の理論でさえ本質的にはすべて仮説である。今のところ事象をうまく説明できそうなものは理論とされているが、いつそれが崩されるかはわからない。実際ニュートンの理論は一定の条件でしか成り立たないことが判明したし、アインシュタインの理論も今のところは正しそうだが、その理論を覆す事実がいつ見つかっても不思議ではない。自然科学の理論でもそうであるから、そこまで厳密さを求められない社会科学、人文科学の理論はなおさら仮説に過ぎない。もし絶対に正しいと言える理論があるとしたら、数学の理論のように閉じた人工的な世界で演繹的に証明できるものだけだ。

21世紀は先が見えない時代だというようなことをよく聞くが不安定で先が見えないのは今に始まった話ではない。歴史を振り返っても今が特別不安定であるようには感じない。元々、人はどうしても安定を求めるものなのかもしれない。安定を求めるがために脳の中で自分が理解できるように外界を作っていく。平らな地球とそこを周る太陽と月。絶対に正しい親や先生。

しかし、成長していくにつれて地球の自転や公転を知り、また、親や先生も普通の人間で時に間違いも起こすことを知る。それでもやはり、その方が安心だからだろうか、確立したとされる理論や識者の言うことを頼りに、安定した世界を描こうとする。

世の中は思っているほど安定していないし、識者が言っていることに間違いもたくさんある。「理論」も仮説に過ぎず、今後、覆される可能性がある。不安定を恐れるのは世の中が安定しているものだという期待があるからだ。逆説的ではあるが、むしろ、世界を不安定なまま、そういったものだと受け入れ、その上で、自分の頭で思考するようになると、安定した世界観を築けるのではないか。


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