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車の運転はとても好きなのだが月に1度も乗らないことも珍しくなくなって3年前に所有していた車を手放した。以来、車を持たない生活を送っているが不便さを感じることはほとんどない。時々電車だと行きにくい場所に行かなければならなかったり、荷物が多かったりして、車を利用したくなることがあるが、そういった場合はカーシェアのサービスを利用している。最近のカーシェアはネットで簡単に予約ができて必要な時間だけ使えるのでとても便利だ。必要なだけ使っても車を所有するための費用をはるかに下回る。

カーシェアに限らず、Uberに代表される車の相乗りサービスやAirBnBに代表される民泊提供サービスなど、世界でシェアビジネスが活況だ。いずれもまだビジネスとして発展途上にありトラブルも少なくないが、シェアの概念の普及に貢献している。

所有する、ということには自分の意のままに扱える安心感がある。必要なときに誰に気兼ねすることもなく自由に使える。共有しているものだと、家族内でさえ、自分が必要なときに使えないことを不便に感じることがあるが、自分の所有物であれば他の人が使っていて自分が使えないということはない。加えて自分が所有しているものであれば自由にカスタマイズできる。パソコンやスマホは自分仕様に変えることで自分がよく行う作業のために最適化することができるし、スポーツで使う道具や身に着けるもののように使えば使うほど形状や柔軟性が変わり自分に馴染むものもある。これは所有というより専有することの方が大事なのかもしれないが住む家でも自分の部屋でも自分の好みのデザインにしたい。

そういう意味ですべてのものを共有するのが正しいとは思わないが、たとえばパソコンやスマホでもすべての構成やデータをクラウドに置くことで特定のハードウェアを所有する意味を減らすことができるように、テクノロジーの発展によって、今よりいろいろな分野でストレスの少ない共有を実現できる可能性がある。

先日、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画がニューヨークの競売で510億円で落札されたというニュースがあった。落札者も落札意図も不明だが所有が目的であれば少し残念だ。かつてゴッホの絵を100億円以上の価格で購入した日本の実業家が死んだら一緒に棺桶に入れてもらうつもりと発言して世界から大いに顰蹙を買ったように極端な所有欲は見苦しい。すべてのものを皆で共有するのはそれはそれで窮屈だが、世界の人口が増え続ける中、地球上の限られた資源を有効に使うためにも、今よりシェアの考え方が広まるのは悪いことではない。