株式公開の是非


多くのベンチャー企業はIPO(新規株式公開)の実現を目指している。企業は上場することによって社会的信用を得るのと同時に資金調達の方法を多様化することができる。またほとんどの場合株主でもある創業者は、株式を公開すれば自社の株を自由に売却することで創業者利益を実現することができる。ただ、IPOは経営者にとって負担にもなる。株式を公開することで、経営観の異なる人が株主になり、自分たちの思うような経営ができなくなる可能性がある。また、内部統制監査の導入をはじめとして情報公開のための事務作業が必要以上に増える可能性がある。

以前はIPOといえば、起業家のゴールのイメージがあり、多くのベンチャー経営者は上場までのスピードを競っているようなところがあった。しかし、ここ何年かでだいぶ変わってきたように思う。IPOでなく、他の企業への売却することを考えたり、上場するにしても米国のグーグル社のように、創業者のもつ株式に特別な議決権を設定し、経営を維持できるような仕組みを残すようにするところが増えてきた。また日本では一度上場した企業が自ら上場を取り消すケースも増えている。2月に入ってからだけでもソフトウェアサービスのワークスアプリケーションズ社、TSUTAYAを展開するカルチュア・コンビニエンス・クラブ社、アート引越センターのアートコーポレーション社と立て続けにマネジメント・バイアウト(MBO)の実施を発表した。

洋々の社内でも将来のIPOの可能性について議論することがあるが、今のところ、デメリットの方が大きいのではないか、という結論になりがちだ。経営の透明化や内部統制の強化等、上場してもしなくても自分たちのためにやった方がいいこともあるが、上場すると自分たちが必要と思う以上に維持するための作業や費用を負担しなくてはならなくなるという印象がある。

自分が上場に対してあまり前向きでないこともあり、MBOが増えるのも仕方のないことかもしれないと思っていた。しかし、東京証券取引所社長の斉藤惇氏が相次ぐMBOに対して「株主への説明責任から逃れるために上場廃止を選択するのは、投資家への愚弄だ」とコメントした、という記事をみてまだまだ考え直す余地があると思った。斉藤氏は、東証の社長なので、立場的にも上場廃止に対して否定的なのは当然だ。しかし、それを差し引いても、「株主への説明責任から逃れるため」という部分は考えさせられる。規模とともに社会的影響の大きくなった企業が少数の株主の思うままに経営するというのは健全な姿なのだろうか?MBOを行うのが創業者の場合は、その会社をそこまで大きくしたのは自分だという自負があると思う。また、その会社の業界に精通していない投資家の意見にしたがうよりも今までその業界で結果を出してきた自分の思うように経営した方がうまくいくと考えるのも理解できる。加えて、上場を維持するコストが高いということもある。しかし、一方で、自分たちが思うように経営をしていこうというのは少し傲慢な感じがする。会社が小さいうちはいいが、社会的影響が大きくなった後は、自分の「もの」と考え、自分が思うようにしたいと考えるのはどうだろうか。これは企業買収の防止策を必要以上に強化している会社にもいえることではあるが、ある程度規模が大きくなったら、市場で株式を自由に売買させた方がよいのではないか。その上で、株主が変わり、経営陣が変わることを求められれば、それはそれで市場の声として従わざるを得ないのではないか。

長期的な展望をもたない株主のために経営が上手くいかなくなることもあるだろうし、逆に、自分の会社に執着する経営者のせいで会社が傾くこともあると思うので簡単には結論は出ない。ただ、今回の斉藤氏のコメントによって、株式公開を検討する際には、その会社の経営の上でどちらが有利かという視点だけではなく、公の存在として企業はどうあるべきかという視点からも考える必要性を感じた。


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