公平性とは?


先月29日にアメリカの連邦最高裁で大学入学選考におけるアファーマティブアクション(積極的差別是正措置)が違憲と判断された。アメリカのトップスクールはこれまで数十年に亘り入学試験において黒人やラテン系を優遇する措置を取ってきた。大学側はそれによって学生の多様性が確保されてきたと主張する。一方で同じグレードやスコアでは不合格にされてしまう白人やアジア系からは逆差別だという批判もあった。今回の最高裁の判決に対しても意見が割れている。バイデン大統領がすぐに強い反対の意を表明したのに対し、トランプ前大統領は”A great day for America”と歓迎した。

入学審査の合否の判断材料に人種を入れることはどの人種にとって有利か不利かに関わらず不公平感を生む可能性がある。特定の属性によってグループ分けがされて、そのグループに対してまとめて評価を下されるのは人によっては公平でないと感じるだろう。白人だからといって恵まれた家庭に育ったとは限らないし、当然ながら黒人が皆貧困生活を送っているわけではない。逆境の中、頑張って勉強してきた白人の受験生は、白人であるがために割り引いて評価されることを理不尽に感じるだろうし、裕福な家庭に育ち優れた教育環境に身を置いてきた黒人の受験生は黒人であるがために有利に審査されることをおいしい、と思うかもしれない。加えて、人種の定義には曖昧なところがある。祖父母から全員が同じ人種であればわかりやすいが、ハーフの人、クォーターの人、さらには8分の1他の人種の血が流れている人の人はどうなのか、もっと言えば8分の3の人や8分の5の人だっているだろう。1人1人のこれまでの環境が大きく異なる中でグループとしてまとめて審査することの公平性に疑問の余地があるのは間違いない。

一方で米国の差別の歴史を考えるとアファーマティブアクションの必要性は理解できる。現状(人種によって統計的に格差があることが明確である状態)が本来あるべき状態でないときに、それを是正するためには多少不公平で強引な手段を使うことも一時的であれば認められるように思う。歴史的に虐げられてきたグループが元の地位を取り戻すために多少優遇されることがあってもよいように思う。

日本の社会における男女格差もそうだが、現状が不公平な状態なのであれば、一見不公平な手段であっても是正のために認めた方がよい場合もあり得る。ただ、何が公平で何が不公平か、ということは視点によって変わることもあり判断がとても難しい。公平な制度を考えるためには、それぞれが自分の立場に拘らず、全体にとってよい形を考えていくことが求められる。


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