本を読もう!


音が聞こえるのは空気の振動が耳の鼓膜を振動させて、それが電気信号として脳に伝わるからだ。脳内の詳しい原理はわからないが音が発生していない状態でもその音を思い出すことはできる。音楽のメロディーを思い出すこともできる。難聴だったベートーヴェンがたくさんの名曲を生み出したのは耳が聞こえなくても彼の脳内で音楽を流すことができたのではないかと想像する。音が聞こえなくても楽譜を見れば脳の中で音楽が流れる。ベートーヴェンでなくても音楽に深く関わっている人であれば楽譜を読むことである程度音楽を「聴く」ことができるのではないか。

将棋のプロ棋士は目隠ししていても「2六歩」「3四歩」というように言葉で駒の動きを伝えることによって勝負ができる。もちろん目で見るようにとはいかないだろうが実際の盤面がなくても「見る」ことができるのだろう。もしかしたら素人が目で見るよりも見えているのかもしれない。

PCやスマホのアプリの開発はある程度視覚的にできるようになっているが今でもプログラミング言語による文字ベースのコーディングは欠かせない。コーディングでも熟練するとソースコードを読むだけで実行の画面・動きを鮮明に「見る」ことができるようになるのだろうか。

楽譜も棋譜もプログラムのソースコードも情報を必要最小限に絞って伝える手段だがそれを元の音楽、盤面、画面に変換しなくても脳の中で再現できるのは便利だし楽しそうだ。楽譜を読んで音楽を「聴く」ことができたり、棋譜を読むだけど将棋の勝負を「見る」ことができたりすると自分の世界も広がる。

これらの能力は限られた熟練者が持つものだが、より汎用的な記号化・再現の機能をもつのが私たちが日常的に使っている自然言語だ。有り難いことに多くの人は小学校、中学校、高校と長期にわたりその能力を養ってきている。極度に抽象化された記号が並んでいるのを順番に追っていくだけで脳の中に様々な世界が広がる。写真や音がなくても、風景が見えるし、音楽も聴ける。香りを感じることもあれば、味を思い浮かべることもある。行ったことのない場所、過去や未来にも行ける。脳の中だけの話と思うかもしれないが現実の世界も目や耳から入る信号を脳内で処理して見たり聞いたりしているような感じがするだけで本質的にはあまり変わらない。

文化庁の調査によれば最近10年で読書する人の数が随分減っているようだ。洋々の受講生を見ていても日常的に本を読む人は少数派だ。何に時間を使うべきかは人の価値観によるのですべての人が本を読むべきとは思わないが読書の楽しさを味わわずに生きていくのはとても勿体ない。2000年以上前に書かれた本から同世代の人が書いた本まで数百円から購入できる。図書館に行けば無料で読み放題だ。学びの教材としてもこんなにお得なものはない。

明日から読書週間。本を読もう!


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