大学入試制度改革について


国公立大の2次の学力試験が廃止されて人物評価重視になる(毎日新聞2013/10/11)とか、センター試験を廃止して「達成度テスト」にする(読売新聞2013/10/22)とか、政府の教育再生実行会議の動きが最近よく報道される。私は正しい方向に動いていると思うが、1点刻みのペーパーテストから人物評価に移行しようとする動きについてネットでは批判の声も少なくない。現行のAO入試・推薦入試に対しても反対派が一定数いるがここではその根拠について検証したい。

まず学力が落ちることに対する懸念がある。私もこの点についてはよく検討する必要があると考えている。たとえば東大の二次試験の問題は本質を問う良問が多く、それをなくして「達成度テスト」だけにするのは勿体ない気もするし、なくすことで東大生の学力が落ちる可能性もないとはいえない。しかし、たとえば東大の英語のテストをTOEFLに変えると東大生の英語の学力が下がるか、と具体的に考えてみると必ずしもそうでもないと思う。「達成度テスト」の質をある程度担保できれば大きな変化はないのではないか。しかも一発勝負でなく何度も受けられるようにする方がむしろしっかり勉強するようになるのではないか。SATしか課さない米国のトップレベルの大学が高いレベルを保っていることを考えても大学入学時にそこまで細かな試験を課さなくてもよいのではと思う。

それから審査基準が客観的でないという批判がある。確かに試験官の主観が入ることによるデメリットはある。裕福な家の出身者で寄付が期待できるような場合や大学関係者に強力なコネを持っている場合に合格しやすくなる、という可能性は十分にあり得る。また、それによって金もコネももたない受験生のやる気を削ぐ、というリスクもある。しかし、だからといって点数にしやすいものだけを評価する、というのでは、点数に表れない力を持った人が正しく評価されなくなる。たとえば野球において、足の速さ、バットスピード、遠投力あるいは球速を測定すればある程度のポテンシャルが予想できる。しかし、その数値だけで正しく野球の実力を判断することは難しい。大学受験においても同様で英数国理社の実力をみることで将来活躍するためのポテンシャルをある程度推測できるが、それだけで判断できない部分も大きい。できるだけ平等な試験にした方がよいとは思うが客観性を確保するために本質でないところに注目しすぎると本来必要な評価ができなくなってしまう。サッカーの日本代表を選ぶ際に客観性を担保するために足の速さ、キック力、キックの正確性など、数値で表しやすいことだけに注目して決めるようなものだ。

次にこれは高校の先生に多い意見だが、一発勝負の一般入試に対してプレッシャーの中で勉強をすることで忍耐力が鍛えられる、AO入試・推薦入試に逃げると自分に甘い人間になってしまう、というような意見もある。勉強は苦しいものだがやらなくてはいけないもの、AO入試・推薦入試はそこから逃れるようなものでずるい、というように考えている高校生も少なくない。しかし、勉強は苦行ではないし、苦しむことを目的でやっても仕方がない。その時期に本当に力を入れてやるべきことをやればいい。もちろんそこには机の上で行う勉強も含まれるが、それだけではないはずだ。

現行の一般入試制度は客観性を重んじるばかりに(あるいは大学側で手間をかけないようにするために)偏ったものになっていると思う。一方で現行のAO・推薦入試の中には確かに学力を軽視し過ぎるものもある。高校生にとって学業は非常に大事でそこについても一定の評価はすべきだ。勉強面も含めていろいろな面で頑張り成長してそれが評価されるような入試制度になるといいい。多少、客観性を失っても評価すべきところを評価する方が優れた人材を採れるし、そうすることで高校生も正しい方向で準備をすることができる。


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洋々代表。日本アイ・ビー・エム株式会社にて、海外のエンジニアに対する技術支援を行う。その後、eラーニングを中心とした教材開発に、コンテンツ・システムの両面から携わる。 東京大学工学部電子情報工学科卒。ロンドンビジネススクール経営学修士(MBA)。