一般 ⇔ 特殊


アインシュタインは1905年に特殊相対性理論を発表した後、10年かけて一般相対性理論を完成させた。私が初めて相対性理論の存在を知ったときは、何もわかってないこともあり(理論の内容は今でもよくわかっていないが)、例外の理論が先で、一般の理論が後に来たことを不思議に思った。しかし、よく考えれば当たり前のことで特殊な条件で成り立つことを示すよりも、一般化すること、より広い範囲で成り立つことを示す方がはるかに難しい。「特殊」が先に来ることに違和感を覚えたのはおそらく学校で通常のケースを先に学んで、特殊なことは必要に応じて後から学ぶということが多かったからだと思う。ほとんどの自然科学の教科書は、理論が確立した歴史的経緯を考慮せず、すべてのことが最初からわかっていたかのように書かれている。

理解している人にとっては、すべてのケースを説明できる一般化された理論のすばらしさや有難味がわかる。複雑に見える現象を数式一つで表すエレガントさは他の人に伝えたい。しかし初めてその理論を理解しようとする学習者の場合は、一般化された理論は意外とわかりにくく有難味も感じられない。理論を理解するためにはある程度、自分であれこれ試したり考えたりする経験が必要だ。物体に力を加えたときにその物体がどのような運動をするかはニュートンの運動方程式F(力)= m(質量)× a(加速度)で表されるが、この式を理解するためにはその前に、いろいろな条件の下、物体がどのような運動するかを考える必要がある。自分なりの試行錯誤の後、初めてこの式の有難味がわかる。

学ぶ側は1つ1つの事例の考察を積み重ねて徐々に一般化された理論を理解していけばよいが、教える側は一般化されたことを理解した上で、個々のケースを説明する必要がある。物理学のように確立した理論から構成される学問であれば全体像を把握しやすいが、現在進行形でまだ理論が確立していない分野において自分の経験を元に他の人に伝える場合は、どうしても試行錯誤しながらの指導になる。そのような場合でも自分の経験を客観視して可能な限り一般化した方が伝わりやすい。

自身が優れたプレイヤーであっても自分のやり方しか知らずにうまくなるための一般的な方法を知らないとよい指導者にはなれない。自身の経験は何百、何千通りもある方法のうち、たった一つの特殊な成功例かもしれない、と客観的にとらえられると教え方の幅が広がる。