学びに対する飢餓感


先週の金曜日に母校の東大で入学式があった。読売新聞の記事によれば浜田純一学長が式辞で「東大生の学習時間は米国の有力大学と比べ少ない。社会で活躍するために、学ぶことに対するハングリーさ、飢餓感を持ってほしい」と述べたという。確かに「飢餓感」は大事だし、日本の大学生にはそれが足りないかもしれない。中国や韓国の学生に比べてハングリーさが足りないという話もよく聞く。

ハングリーである方が目的を達したときの喜びは大きい。適度に渇望感がないと本当の満足を得ることはできない。ちょっと小腹が減ったからと言って間食をすると本当においしいご飯は食べられない。15時におやつを食べると夕方のビールの味も落ちる。外山滋比古氏の「思考の整理学」にもそんな話があったと思うが教育も与えられてばかりいると満腹になって有り難さがわからなくなる。本当においしいものを食べたかったら十分にお腹を空かせばいいし、学びの楽しさを味わいたければ知識への渇望感が必要だ。その意味で飢餓感を持ってほしい、という気持ちは理解できる。

ただ、飢餓感は、持ってほしいと言われて持てるようなものではない。お腹がいっぱいの人に、「もっと欲しがれ」といっても無理があるのと同様に学びについても「もっと知りたがれ」といってもあまり意味がない。知識欲や真理を知りたいと思う気持ちは誰にでもあるし、多くの場合、知れば知るほどさらに知りたいと思うようになる。それでも勉強の好きな人が少ないのはなぜだろう?学ぶことにハングリーでいるためにはどうすればよいのだろうか?

まずは、おいしさを知ること。食べることの喜びを知っているほど食べたいという気持ちが強くなる。同じように「わかる」ことの喜びを知ると学びに対して貪欲になる。幼稚園児や小学生の頃は学ぶこと自体よりも学ぶことの楽しさを知ることの方が大事かもしれない。その意味では最も「おいしい」学び、つまり、それを得ることで最も喜びが得られる学びを経験できるといい。

それから義務感から学ぼうとしないこと。食べることでさえ、それが仕事になったとたん嫌になることもある。「知りたい」という内からの要求をしっかり拾い上げて、それに応えるように学ぶ。親や先生から言われるからやるのではなく、自分がやりたいからやる。お腹いっぱいのときは休んだっていい。

また、これは何事でもそうなのだが感謝の気持ちはやはり必要だ。毎日食事ができるということも幸せなことだが、好きなだけ学べるということもそれと同じかそれ以上に幸せなことだ。自分の幸せを感じるのに不幸な環境の人のことを思い出そうとするのはあまり好きではないが自由に学べることに対する感謝の気持ちは忘れずにもっていたい。

学ぶことの喜びを知り、自分自身の学びたい欲求にきちんと耳を傾け、学べることの有難さを忘れなければ、きっとお腹は空いてくる。


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