すべての人が、思う存分、活躍できる楽しい社会


以前私が勤めていたIBM社では、1980年代後半、世界で40万人以上の従業員を抱えていたが、その後、1990年前半の急激な収益悪化もあり、大胆なリストラで従業員の数を20万人近くにまで減らした。その間、売上が多少落ちた年もあるが大きくは変わっていない。その後、業績が回復し、売上も4割程度増え、現在では再び40万人以上の従業員が働いている。

すでに動いているビジネスを回すだけであれば、ある程度人数を減らしてもしばらくは差し支えないのかもしれないが、半分近くにまで減らしても売上が変わらないのは減らす前が少し多すぎたということだろう。

日本では雇用の流動性が米国ほど高くないことを考えると日本企業は米国企業以上に余剰人員の数が多いのではないかと思う。実際、企業の内部の人の話としてそういうことをよく聞く。特に大きな組織では企業でも官庁でも組織のアウトプットにあまり貢献できていない人が少なからずいるのではないか。

自分の所属する組織に貢献する、延いては、社会に貢献する、ということは簡単なことではない。どんなに自分で努力してみて頑張ってみてもその組織にとって意味のあることでないと残念ながら(その組織にとっては)価値がない。しかも、今まで付加価値を出してきた人でもコンピュータの進歩や市場の変化により持っているスキルが突然全く役に立たなくなることも珍しくない。

最低賃金が上がり、生活保護との逆転現象が解消されることが昨日ニュースになっていた。逆転とは言ってもレベルはほとんど変わらない。最低賃金で働く人は一生懸命働いても生活保護で守られる水準の収入分の付加価値しか(経済的には)出せないということだ。

米Google社は今、90年代のIBMと同じくらいの売上規模があるが従業員数は世界で5万人程度しかいない。もちろんビジネスの内容に大きな違いがあるので単純には比較できないがApple社やFacebook社を見ても最近著しく業績を拡大している企業は社会に対して生み出している価値の大きさに対する従業員の数が従来の企業に比べて少ない印象がある。Facebookは売上が年間1兆円に達しようとしているが従業員の数は7,000人程度だ。いずれもコンピュータやネットの力を全面的に活用していてその分少ない従業員で価値を出すことが可能になっている。コンピュータの発展に伴い、企業が出す価値に対する人の役割はますます小さくなっていくのかもしれない。とすれば生活保護で受けられるレベル以上の付加価値を出せない人が今後ますます増えるのではないか。それがさらに進むと一部の能力の高い人だけ働いて世の中の生産活動を担当し、残りの付加価値を出せない人は(恵まれた国に住んでいたとしても)年金生活のような感じで暮らすようになるのではないか。そうなれば、人によっては働かずに生活することができていいと思うかもしれないが、多くの人は、自分が社会に貢献できないことの虚しさを感じるのではないか。

そのような社会はまだ先のことだと思うが、今の社会の格差の広がりを見ていると非現実的な話でもないと思う。洋々では「すべての人が、思う存分、活躍できる楽しい社会」の実現を理念に掲げている。皆が活躍できる社会とは、どのような社会なのか、その社会の実現に洋々はどのような貢献ができるのか、引き続き考えていきたい。


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