約分


小学生のときに公文式算数の教材で分数の約分をひたすらやっていた時期がある。85分の34とか、91分の39とか、約分して5分の2とか7分の3くらいになるものが好きだった記憶がある。n分の1とかn分のn-1に比べて、分母と分子の公約数を見つけるのが難しく、その分楽しめる。この数字の感覚は体に染みついていて今でも役に立っているが逆に何でも約分してしまうという弊害もある。

算数や数学において数字に数字以上の意味はなく100分の50は2分の1と全く同等である。しかし、現実の世界で数字を使うときは数字に別の意味が乗ってくる。野球の100打数50安打と2打数1安打の意味合いは大きく違う。100人の中の50人と2人のうちの1人も全く違う。つまり安易に約分できないケースも存在する。

約分的な考え方は、本質を見極める上で役に立つことが多い。複雑に見えることが見方によってシンプルに考えられるようになる。百分率で表したり、何割何分で考えたりすることも同じことだ。元々数学は物事を整理して考えるためにある。複雑なことでも要はこういうことなのね、と理解しやすい形にしていく。経済的事象でも物理現象でも人間の頭でシンプルに考えるために数学は大いに役に立つ。これはこれと等価、ということを繰り返し、よりシンプルな表現を探っていくと複雑な事象や現象が単純な数式で表現できるようになったりする。

一方でシンプルに考えすぎると本質を見誤ることもある。数字だけで考えることはそこについてまわる他の情報を削ぎ落すことになる。100打数50安打はすごいことだが2打数1安打は別にめずらしいことではない。約分して同じ扱いにしてしまうと100打数で50安打を打った人の偉業を軽んじることになる。もっと言えば同じ100打数50安打でもそれを達成した試合のレベルやその安打の内容によってもその価値は大きく変わってくる。

数学は物事の本質を捉える上で間違いなく役に立つし使わない手はない。ただ、野球の成績であっても、国のGDPであっても、戦争の状況であっても、数字だけで考えるとそこに関わる人の感情を無視することになる。何にも考えずに約分するのではなく、シンプルに捉えることを目指しつつ、数字の背景についても理解しようと努めることが現実においてその本質を捉えることに役に立つように思う。


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