未分類

家の外の都市の中の家-house inside city outside house Tokyo Metabolizing@東京オペラシティアートギャラリー ————–kiritori—————-   『自分たちの便利な生活が遠くの場所で作られるエネルギーによって成り立っていること、自分の受けているサービスによって街の仕みが大きな制約を受けていること。そう言ったシステムがしらず [→続きを読む]

未分類

2. シンボル 既に述べたように、原爆資料館を含めたこの『広島ピースセンター』は都市のコアとして機能する。原子のコアや台風のコア、インテル社CPUのコア、高層ビルのコア。コアはものの「核」となるものでそのものの最も中枢となり重要となる箇所とも言える。それはある意味、そのもののシンボル性またはアイコン性を放つ部分と置き換えて考えても良いだろう。ではこの公園計画をみたとき、一体何がそのシンボル性を演出しているのだろうか。 西洋の象徴的演出には「量塊的」手法が使われる。「エジプトの文化」や「中世のキリ [→続きを読む]

未分類

今回はまたまた連作。内容は夏休み中にダラダラとリサーチ(?)を続けた『広島ピースセンター』について。戦争によって壊滅状態に陥った広島が戦後どのようにして再生していくのか。それをひとりの日本を代表する建築家である丹下健三にフォーカスを当てて話を進めた。戦後の人たちがどのような思いで日本を生き、国を興し、国民や町や家族をどんな気持ちで養うため奮闘したのか。一連の読書で今回はその事をひしひしと学んだ。長い夏休みがやっと終わる。昨日の台風によって運ばれてきた秋の香りが気持ちを充実させ、新たな出来事を予感 [→続きを読む]

未分類

前回書いた記事は倫理や道徳問題のヒューマンスケール化を扱った。今回はその逆ケース、つまりある問題のヒューマンスケールの脱却を題材にしてみようと思う。戦後ヒロシマを舞台とした一連の事柄についてだ。1945年にヒロシマが原爆によって都市の死、人の死を経験したのは誰もが知っている。しかしその後どのように都市と民の再生が計画され、悪戦苦闘の結果それがなされていったか、人々はあまり知らない。そこには当時まだ30代の若き日の世界的建築家 丹下健三の努力があったことを、人々はあまり知らない。 彼は放射線汚染に [→続きを読む]

未分類

新宿の南口にある小さな映画館。都内ではそこと渋谷と丸の内の3つの映画館でしか上映していない。その規模とは釣り合いのとれていない素晴らしい映画がある。デンマークの映画。監督はスサンネ・ビア。「悲しみが乾くまで」「アフター・ウェデング」など、予期せぬ事態に直面した登場人物たちの感情や葛藤をリアルに書きだしてきた作品で知られる。今回の映画、タイトルは『未来を生きる君たちへ』。 子供の頃誰しもが見ていた光景、いわば原風景のような映像が作中しばしば登場する。舞台はデンマークの田舎町。西日の中海辺で凧をあげ [→続きを読む]

未分類

前回の記事では松屋を始めとするファストフードを「エネルギー補給工場」と呼びその実態を僕の視点から書いてみた。今回はその一連の「合理的」栄養摂取のプロセスから更にどんな事が考えられるかを考察してみた。 冒頭で合理的という言葉に「」を付けたのを疑問に思った方もいるかと思うので、まずはそこから入ることにする。そもそも「合理的」という言葉には2つ意味があるのを確認したい。『1.むだなく能率的であるさま』 この意味は恐らくファストフードのスローガンを体現したようなものだ。客側は食事の時間と食費の節約、店側 [→続きを読む]

未分類

先日松屋で牛丼を食べながら僕の脳内で展開された話を書く。 午前11時。朝ごはんを逃した僕は経済的・時間的理由により松屋に入る。店内に入ると僕は牛丼をはじめとする各種丼、カレーなど多くあるメニューの中から好みのものを選び食券を買う。席に座るとランウェイのようになった細い通路を店員がやってきて食券を受け取る。店員は再びランウェイを戻っていきそのままキッチンへいく。何も仕切りの無い店内では席からキッチンが見え、自分の注文したものがつくられる様子が確認できる。5分も経たずして目の前に料理はやってきて、僕 [→続きを読む]

未分類

  急に思い出した事だが、小さい頃に「ドナドナ」という歌を歌ったのを覚えている。世界の多くの国で歌われているイディッシュ(中東欧ユダヤ文化)の歌で、牧場から市場へ売られていくかわいそうな子牛が描かれたものだ。何がウィーンと関係あるかというと、ドナウ川というヨーロッパを東西に横切る大河に発音が似ていることから思い出した。そしてこの川はウィーンの成り立ちに大きく関係している。ウィーンはドナウ川に沿ってヨーロッパを東西に横切る道とバルト海とイタリアを結ぶ南北の道の交差するところに生まれた町であり、そこ [→続きを読む]

未分類

  1938年、ドイツがオーストリアを併合。ヒトラー率いるナチスドイツ軍の支配が始まった。そんな時代背景はフンデルトヴァッサーに様々な思想を芽生えさせたに違いない。ユダヤ系であった家族は弾圧を受け、暗い生活を強いられた。そこで彼にとって第三の皮膚であった自宅は隠れ蓑として重要な役割を果たしたことだろう。そして戦争が終わりウィーンでは建設ラッシュが起きる。あちこちでバウハウス建築の直線と均一性を主軸とした建物が建てられ、世界の流れに飲み込まれ絶対的合理主義へと都市は向かう。オーストリア=ハンガリー [→続きを読む]

未分類

  ウィーンとはいったいどんな場所なのだろう。オーストリアとはいったいどんな国なのだろう。フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサーという芸術家、画家、そして建築家であるこの人物によって僕はこの世界に吸い込まれた。1928年-2000年に生きたこの人物は、ヒトには3つの皮があると定義してアーティト活動を続けた。皮膚、衣服、そしてその次に来る「第三の皮膚」として建築にも目をむけて自然と人間関係に密接にかかわる建築を追求した。そんな彼とその作品を追いながら、彼の生まれ育ったオーストリアの首都ウィーンに [→続きを読む]