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ガジェット系やテクノロジー系、デザイン系にサイエンス系と、創造性に特化した部門においてある傾向がみられる。 ● googleの発表した新SNS、google+についてのオフィシャルブログ記事「現実世界でのコミュニケーションの細やかさと豊かさをソフトウェアで再現したい。あなた自身のこと、その人間関係、そして興味のあることを取り込むことによって、Google の使い勝手をよりよいものにしたい。” ● 「画期的なヒト型3D入力デバイスで、より直感的なキャラ操作が可能に」”人間のような形状の手足、胴体、 [→続きを読む]

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  マグダレーナ・カルメン・フリーダ・カーロ・イ・カルデロン。1907-1954年に生きたメキシコ出身の女性画家で、そのグロテスクで衝撃的な画風で知られる。小中学生には「ゲジゲジまゆ毛女」として有名で(体験談)、繋がったまゆがメキシコでは強さの象徴として重要なものであるという事は彼らにとってさほど重要な情報ではない。しかしこの女性画家の人生とその「強さ」とが重要な関係を持つということをまずここで言わなければならない。ではここから、フリーダ・カーロとして知られるこの画家について今回は話そう。    [→続きを読む]

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最近妙にハマっているhiphopアーティストグループがいる。彼らは日本人だ。3人でたらたらと楽しそうに音楽作りをしている。板橋区出身の幼なじみ組らしい。ひとりはオタク系、ひとりはオラオラ系、ひとりはクレイジー系。変な外見とそれに負けないリリックとビートを持っている。「PSG」という。 「俺の感覚としては『ピタゴラスイッチ』の連鎖装置みたいな、やってることは超複雑だけど見栄えは超気持ち良いみたいな。そこを目指したかな。だから、赤ちゃんとかが喜んでくれたら嬉しいっすね。」 自身の音楽についてそう語る [→続きを読む]

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建築学科の1年生には毎年「建築と社会」という授業が必修である。簡単に言えば最前線にいる建築家や建築関係者を招待してレクチャーや対談を聴くという講義だ。内容は概して実社会における建築の役割やあり方・影響などについてで、彼らの経験と視点に基づいている。堅苦しい雑誌編集長から大手ゼネコンの働き屋、暴力的でさえある生の建築家、そして彼らの話の軌道修正と引き立てのために同席する建築学科教授。まだ何も分からない高校生に毛が生えただけの1年生のために、毎週多様な面子があらゆる方向から刺激してくれるという週中で [→続きを読む]

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久々に建築以外の活動をしたので記す。 昨日は昼から半日の間、友人の誘いで慶応ビジネスコンテストKBCのワークショップに顔を出した。今回はリクルートの協賛により執り行なわれ、リクルートの目標やそれにそった事業体制、その中で働く一社員の体験談などの話から開会された(想像以上にリクルート色が強く抵抗を覚えたが、KBCの内事情と理解)。今回は彼らの出した課題「ソーシャル×広告」というテーマについて事業制作をするというディスカッション兼プレゼンテーションの企画で、1グループ5人単位で実施された。内容はとも [→続きを読む]

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哲学系・言語は思考を裏切るか・不可能を望むことは非合理か テクノロジー系・芸術作品を理解せずに愛することはできるか・私の幸福を法が決定しうるか・カントのテキストを読んで設問にこたえよ 科学系・アートはわれわれの現実意識を変えうるか・ひとつの真実を確立するためにデモンストレーション以外の方法はあるか・ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』からの抜粋テキストを解説せよ 200年前からフランスで続くバカロレアが今年も始まった。高校卒業と大学入学のための資格取得の試験で、センター試験のように多くの [→続きを読む]

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今回も自分の通う早稲田大学建築学科について書こうと思う。 ここ建築学科では多くの「カダイ」が出されるのは周知の事実で、100年以上続く歴史の中で現れた伝統とさえ呼べる慣わしとなっている。そんなカダイにもいくつかの種類があり、それぞれある性質をまとっていると気づき始めた入学一ヶ月である。 まずはカダイ1、「社会知」。これは社会の中で上層を生きる人間として必要な知を身につけることを目標としている。専門性に平行してリベラルにグローバルに物事に触れることで、自らの専門領域と同様に深い根のある分野が多くあ [→続きを読む]

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この記事が自分の記録だけでなく、洋々の一部としてあることに立ち返ってみよう。そうすると、もう少し「大学生らしい」ことを書いても良いような気がしたので、色々書いてみようと思う。今回は学校を中心とした生活について記す。 月~金曜日で1限からの授業となっているので学校は9時から始まる。建築学科では8割以上が必修の授業なので、この1限地獄を抜け出すすべはとりあえず1年の間はなさそうだ。更に嬉しくないことが自由選択科目について。僕が自ら選択することができたのは「スペイン語」と「建築と情報」という授業のみ。 [→続きを読む]

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アメリカの教育が今あらゆる問題に直面している。そのひとつに「リベラルな学び」とのあり方がある。「リベラルな学び」とは物事を多角的に見るために「教養」として多くの分野の存在を認めることと言い換えられる。しかし広い教養教育の過程で生まれる子どもへの精神的ダメージが近年問題となっているのだ。目的の不可視な状態が続くことなどがその原因としてある。 ここに横たわる本質的問題は、情報社会である近代~現代に生きる人間誰しもが抱えてきたものだ。それは「自由」との付き合い方である。自らの進む道の決定の際に自由にそ [→続きを読む]

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ふと思う。なぜ人は、いや、なぜ僕は今のような人生を送るのか。誕生、幼稚園から大学入学まで、大した違いもなく(長い目で見れば)スムースに来た。 「学校では何を学べるのだろう」 この質問は10年以上の自問だが今だパッとするものは見つからない。いや、ない。いくらでもそれらしきものはある。しかしそれらは「要素(一)」であって「答え(全)」ではない。物事は積分的に成り立っているから、それは当然のことか。 先に「要素」といったが、学校やその周辺で得ることの出来るそれは他の舞台でも得ることが可能だ。時にはより [→続きを読む]