ようやく僕もフルマラソンを走る時がきた。来年2月15日(日)、四国 高知県で開催される”高知龍馬マラソン2026”にエントリーした。高知城というか高知県庁を出発して、グルーッと海の方に出て桂浜やらなんやら、海沿をしばらく走って春野陸上競技場というところにゴールするらしい(申し訳ないけど知っている名所が桂浜しかなかった・・・)。最大高低差50mって書いてあった。それが高いのか低いのかは、素人として分からない。 東京マラソンと違って、先着でエントリーが完了するから、申し込みと同時に出場確定だ。青梅マ [→続きを読む]

第701回の記事に書いたとおり、僕はテトリスが結構強い。一番最初、小学生の時にファミリーレストランのレジ横で売っている小さな四角い、テトリスしかできない小さいゲーム機でデビューしてから、中学生の頃はガラケーで腕を磨き、高校生になるとDSで鍛錬を続け、大人になってからはPlayStationで更なる高みを目指している。 ただ寂しいことに、これまであまり人間と対戦したことはなかった。いつもコンピュータか、自分との終わりなき戦いをしてきた。それがついこの前、行きつけのバーで仲良くなったグループで、ホー [→続きを読む]

そして、これもまた失礼な言い方になってしまうかもしれないが、MCが思ったよりも面白かった。もちろん音楽は知っているけれど、清水翔太という人がどんな人間か、話を聞くのは今回が初めてだったけれど。全然格好つけず、等身大で色々な話をしてくれた。それがすごく意外で、よかった。むしろこのMCの中で本人もそれらしいことを言っていたけれど、昔はもっと尖っていたに違いない(だってそういう曲が多いし)。きっと色々なことを経験して、丸く・大人になってきたんだろうな、と勝手に想像した。純粋に音楽が好きで、幼い頃からそ [→続きを読む]

8月最後の土曜日、日本武道館での清水翔太のライブに行ってきた。先の記事で書いた通り、前提知識も予習も不十分な、完全にミーハーとしてのライブ参戦。そしてMr.Children以外のアーティストの初ライブ。 席は一番上の階で、運よく前も横も通路に面する角席だった。角席だと、横の人に気を遣って思いっきり肩幅を狭める、言葉通り肩身の狭い思いをしなくてすむからありがたい。前も通路だったから膝をコンパクトに折り曲げておく必要もなかった。そしてもう一つ、僕らの階の観客はほぼ誰も立ち上がらないで、お行儀良く座っ [→続きを読む]

それにしても、もちろん聞いていた話だが、ゴルフはレフティに冷たいというのを、スクール探しから早速身に染みて感じた。ちょっとネットで調べるだけでゴルフスクールなんて腐るほど出てくる。もちろん都心のスクールだから、室内のシミュレーションを使ったスクールになる。そんなスクールが自分の家から徒歩圏内でも2~3件あった。しかし“レフティ対応可”となると、その数は激減する。狭い室内ゴルフだから、左打席を設けるにはかなり採算が悪いのだ。よく分かる。仕方ないから自転車で10分くらいの、“1打席のみレフティ対応可 [→続きを読む]

柔道を引退してからのこの7年間、何回かは「ゴルフ始めようかと思っている」って周りに言ってきたし、僕自身その都度本気でそう思っていたんだけれど、「左利きで・・・」とか「初期投資が重たくて・・・」とか、細々した障壁にぶち当たり、なかなか始めてこなかったゴルフを、この前やっと始めた。 なにをもって“始めた”と言うのかは難しいところだが、クラブ一式手に入れて、ゴルフスクールに入会して、それに週3回くらいはちゃんと通っている僕は、まぁ“始めた”と言って差し支えないはずだ。ちなみにまだコースには出ていない。 [→続きを読む]

行くからにはちゃんと勉強して精一杯楽しまなくちゃと、今週は毎日のトレーニングの時などに、このライブのプレイリスト(便利な世の中になったもので、Spotifyに誰かが作ったプレイリストがあって一瞬でライブ曲をピンポイントで聴ける)を一生懸命聴いて過ごした。20曲のうち、前から知っていた曲は3曲、他の人のカバー曲だから知っているのが1曲、僕の知ってる曲率10%から見た当たり率としては悪くないが、1週間で16曲を勉強するのは無理だ。明日は、大半をなんとなく知ってる風のノリで過ごすことになる見込みだ。 [→続きを読む]

8月最後の土曜日、と言ってももう明日だが、清水翔太のライブに行ってくる。日本武道館で17時から。 ※予め申し上げておくと、僕は清水翔太のガチファンではない。ミーハー中のミーハーだ。なのでガチファンの方からすると若干不愉快な表現があるかもしれない。どうかご容赦ください。 Mr.Children、正確にはそのボーカルの桜井さんが主催するもの以外のライブに行くのは、今回が初めてになる。清水翔太は“普通に”好きだ。高校生のとき、おそらく彼がデビューしたくらいの時、学校で流行っていたし、その後もちょいちょ [→続きを読む]

結局僕らに勝ったチームは決勝でギリギリ負けて、2位だった。どうせなら優勝してくれよ、と思った。負けた僕らに、そんなことを言う権利は絶対にないのだけれど。しかし決勝も接戦だったことを考えると、いろんなことがめちゃくちゃ上手く噛み合っていれば、僕らの優勝だって可能性がなかったわけではない(体力的にかなり可能性は低いけども)。そう考えると、やっぱり勝ちたかったなぁ、あと少しだったなぁと、悔しいような残念なような気持ちが出てきたりもする。勝負の世界において「〇〇だったら」「〇〇しれてば」の“タラレバ”は [→続きを読む]

その後の試合展開としては、中堅が指導2で負け、副将が有効で勝ち、大将を残した4人終了時点で1-1の内容勝ちの状態になった。言い換えると「大将が引き分け以上で僕らのチームの勝ち」ということだ。しかしこちらの大将は引退してから一番時間が立っている最年長、僕の2歳年上。向こうはちゃんとポイントゲッター、さすがにちょっと苦しいか・・・と思いながら試合を見守った。ウチの大将、引退して時間が経っているとはいえ、さすが昔強かった奴で、ちゃんと組み手を捌いて、小さい足技中心だけどちゃんと技も出ていて、「あーこれ [→続きを読む]