人は自分に見えていることしか見ることができない。当たり前のことではあるけれどつい忘れがちなことだ。自分自身に見えている世界に限っても、時によって見え方は大きく変わる。それを考えると、おそらく、人によって見えている景色というのはかなり異なる。目で見ているものに限らず、頭の中で見ていることについても自分に見えていることしか見えない。もちろん、他の人に見えていること、他の人が考えていることをその人の顔の表情や文章にしたものなどから推測することはできる。そして、多くの場合、その推測はそれほど大きく外れて [→続きを読む]

大学受験で課される試験の内容によって今後大学を卒業して社会に出てくる人材がもつスキルや能力は大きく変わってくる。高校で学ぶべきことにも関わってくるので簡単にはいかないかもしれないが、例えば多くの大学受験の必須科目として情報科学系の科目が課されることになれば、その是非はともかくとして大学を卒業して社会に出る多くの人のITリテラシーは今よりかなり高くなるはずだ。大学入試で体力を測るような試験が必須になれば知力と体力のバランスの取れた人が増えるかもしれない。東大の入試で今の科目に加えて1科目体育が課さ [→続きを読む]

今は多くの人がそうだと思うが、私は、長めの文章を書くときにはPCを使うが、メモ程度であればペンや鉛筆を使って書く。ペンや鉛筆をあまり使わないと漢字の書き方を忘れてしまいそうなので、年賀状の宛先などもできるだけ手書きで書くようにしている。今までの人生で手を使って書いてきた字の量はそれなりになっていると思う。しかし、最近になって気付いたことがある。いくらたくさん字を書いていても字を書くのが全く上手くなっていないのだ。おそらく高校生の頃から字のきれいさ(拙さといった方が適切かも)は全く変わっていない。 [→続きを読む]

大学が学力だけの入学試験で合否の判断をすることについては以前から批判があった。社会で活躍するために必要な力は英語、数学、国語、理科、社会だけでは測れない、実際、社会に出ると、こういった学力よりコミュニケーション力等の対人スキルの方が重視される、だからもっと多面的に受験生を評価すべきだ、というような感じだ。こういった批判に応える形で私大を中心にAO入試、推薦入試という形で、学力以外の部分で受験生を評価しようとする動きがだいぶ広まってきた。すでに私大の入学者の半数以上はAO入試または推薦入試の形で受 [→続きを読む]

曽野綾子氏の「アラブの格言」という本に「神が貧しい人を幸福にしようと思ったなら、彼のロバを行方不明にして、それからまた見つけ出すようにしてやればいいのだ」というトルコの格言が紹介されている。病気やけがをして、それが治ったときは、自分が健康であることを以前より強くありがたく感じるものだし、サラリーマンの年末調整で所得税が戻ってくる際の喜びも同じ感覚だと思う。もともと払わなくてもいいものを払っていてそれが戻ってくるだけなのだが何だか得した気分になる。一方で確定申告の際に税金を納めなければいけない場合 [→続きを読む]

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例えば、賃貸アパートの部屋を新たに借りるとして、不動産屋を回ってもそうそう掘り出し物は見つからない。なぜなら、賃貸アパートの部屋を仲介する不動産屋は数多く、広さや駅からの近さ等、細かい条件のもと、ある程度効率のよい市場が形成され、需要と供給に合わせて価格が決まっているからだ。特に大手の不動産屋では、価格の決め方もある程度決まっているはずで、掘り出し物に出会う可能性は少ないだろう。価格は基本的に需要と供給や競合環境で決まる。 ただ、市場の感覚と自分の感覚がずれているときはチャンスだ。たとえば自分は [→続きを読む]