福澤諭吉は明治24年に「瘠我慢の説」として、元々幕府側で重要な任務を担っていた勝海舟や榎本武揚が維新後も新政府で重要な職に就いていることを痛烈に批判する文章を両氏に送っている。勝海舟については無血開城の手腕に対する一定の評価をしつつも、三河武士のごとく家を守るために最後まで戦い抜くべきだった、今からでも新政府による官爵や利禄を捨てて表舞台から去るべき、と断じている。榎本武揚については負けるとわかっていても箱館まで脱走して官軍に対して最後まで抵抗したことを「あっぱれの振る舞い」として評価しつつも、 [→続きを読む]