人生の時間の使い方を考えたとき、楽しい時間は長ければ長いほどよく、不快な時間は短ければ短いほどいい。「楽しい」時間というと、スポーツをしたり、ゲームをしたり、友人や家族と談笑したり、といったことを思い浮かべる人が多いと思うが、必ずしもそういったことだけでなく、仕事や勉強、厳しいトレーニングといったことも人によっては「楽しい」時間に入る。厳しいトレーニング自体は嫌でも着実にその成果が出ていることが実感できればそれは「楽しい」時間になり得る。 楽しい時間の邪魔になるのは、肉体的・精神的な痛みや苦しみ [→続きを読む]

マラソンランナーはなぜ集団を作って走るのか?マラソンにおいては、たとえばポジション取りが重要な自転車競技と比較して、直接相手に干渉できる要素があまりない。ということは他の選手の動向にかかわらず自分が最も速いタイムを出せるペースで走るのが一番よいのではないか?自分にとってベストなペースというのが存在してそのペースを守るのが集団で走っても一人で走っても最も早く走れるのではないか?ハイペースの方が実力を発揮できる人もいればスローペースを好む人もいるだろう。実力的にもそのペースだと少し楽な人と少しきつい [→続きを読む]

もう秋分だというのに数日前油蝉の鳴き声を聞いた。残暑が続くために地上に出てきてしまうのだろうか?考えてみると蝉の幼虫があるタイミングで土の中から出てきてさらにもともと自分の体だった殻を破って外界に飛んでいくというのはなかなか理解しがたい。今までずっと地中にいたのにある日突然むずむずして外に出たくなるのだろうか? 現代を生きる人間は生まれてから大人になるまでに多くのことを親や学校の先生、あるいは、友人から明示的に学ぶ。だから逆にそういう学ぶ機会がなければ何もわからなかったのではないかと思ってしまう [→続きを読む]

病気で体の調子が悪いとき、たとえば、体のどこかが痛いときに睡眠をとると夢をみる。たとえば足に鈍痛があるとき、足の上にかけてある布団が重くてそれをどうしても払いのけられないというような夢を見る。場合によっては、寝言で掛け布団を払いのけてほしい、と言うこともあるかもしれないが、それでは周りの人に言いたいことは伝わらない。 感じていることの原因がわからず、周りの人に正しいことを伝えられないのは、寝ぼけているときだけではない。人はそのときの心の状態によって言うことが変わる。いらいらしていると本心で思って [→続きを読む]

最近山口県の萩に行く機会があった。萩は海もきれいだが、やはりその町並みが美しい。広い範囲に渡り、江戸時代を思わせる長い塀のある家が並ぶ。当時の豪商である菊屋家の家の中に入ってみたがこんな家に一度住んでみたいと思った。当時の生活を想像し、そんな生活も悪くないと思った。 もちろん現代の生活に慣れた我々にとって江戸時代の生活は心地のよいところばかりではないだろう。エアコンのない時点で耐えられないかもしれない。洗濯機もないし、冷蔵庫もない。もちろんテレビもラジオもない。パソコンやスマホなんて以ての外。そ [→続きを読む]

忙しい日が続くと休みたくなる。いろいろやるべきことを実現できないのは時間がないからだと思うようになる。 以前勤めていた職場で別の部署の人にお願いした仕事があって何度も確認しにいくのだがいつも「今忙しいからもう少し落ち着いたらやる」と言って先延ばしにされるということがあった。なかなか埒が明かないので、忙しくなくなる時期を予め聞いておいて、その時期に再度確認に行くことにした。その時期が来て、その人のオフィスに行くと確かに少しリラックスした雰囲気になっていた。それで、以前からお願いしていた仕事の件につ [→続きを読む]

複雑なものの仕組みを理解しようとするとき、分からない部分を中の見えないブラックボックスとしてまとめて、その中身を無視することによって、全体像を捉える、というのは賢いやり方である。ブラックボックスの中身の構造はわからなくてもどういう入力をするとどういう出力があるか、を理解すれば、全体の仕組みを理解できる。細かいところを気にしすぎていてはいつまでたっても全体がわからない。自動車の仕組み大まかに知ろうと思ったら初めはエンジンをブラックボックスとしてとらえておけばよい。エンジンの原理を知らなくてもその入 [→続きを読む]