プラトー(plateau)は、もともと高原、台地といった意味だが、成長が止まって上昇も下降もしない平坦な状況のことを示す。 以前、「字のきれいさ」という記事でも話題にしたが、何事もただ単にやり続けるだけでは遅かれ早かれどこかでプラトーに達してそれ以上、上達しない。 一生懸命勉強しても全く効果があがらないことがある。難しいのは、間違った方法でやっているから成果があがらないのか、正しい方向でやっているけどまだ成果が上がっていないだけなのか、の見極めだ。正しい方向でやっていたとしてもすぐには成果が見え [→続きを読む]

私が大学受験を経験してからもう20年ほど経つが当時からセンター試験や一般入試の学科試験の内容はあまり変わっていない。出題範囲が多少変わったところはあるものの、現代を扱う社会科目の一部を除けば、問われていることはほとんど変わっていない。今、20年前の入試問題を出題しても違和感はないはずだ。出題内容が大きく変わっていないことに対してとやかく言うつもりはない。大学入試で出題される範囲は、学問のごく基本的な部分であり、そうそう変わるものではない。新たな遺跡の発掘によって歴史の認識が変わったり、素粒子につ [→続きを読む]

どんな仕事をしているの、と聞かれたとき、私は、多くの場合、「教育関連の仕事をしています」と答える。しかし、「教育」という言葉にはいつも違和感を持っている。「教育」という言葉には先生が生徒を「教え育てる」という一方的なイメージがある。私たちが洋々で目指しているのは何かを教えることではなく、受講生に何かを学んでもらうことである。教えて育てることと、学んで育つことは似ているようで大きく違う。主体となるべきなのは学習者であって先生ではない。先生が教えるのではなく、学習者が学ぶのだ。一緒じゃないかと思われ [→続きを読む]

仕事がうまくいったとき、スポーツで得点を決めたとき、ゲームで勝ったとき、一度快感を味わうと当然ながらさらにそれを求めるようになる。一度味わった快感を追い求めることは向上心をもって仕事をやり続けるモチベーションにつながる。 しかし、味わった快感に引きずられるのはマイナスの面も多い。負け続けてもギャンブルにはまってしまうのは勝ったときの快感が忘れられないからだろう。危険なのは賭け事のように強くひきつけるものばかりではない。スナック菓子を必要以上に食べ続けてしまうというのも小さな快感(おいしさ)が後を [→続きを読む]

「ベールに包まれている」という意味がわかる人でも「ベール」が何のことか知らない人は意外と多いのではないか。ベールという言葉は「ベールに包まれている」という表現のために残っているようなものだ。「ベール」と聞くだけで謎や秘密を想起させる。布に包まれている、ではだめ。絹布でもだめ。ベールでなければいけない。 言葉は柔軟でどんどん変わっていく。枕詞のようにその言葉自体にほとんど意味がなくなっても使われ続けるものもある。何らかの法則に沿って進化しているようにも見えるが、突然変異的な進化の仕方も多い。誰かが [→続きを読む]

昨日通常国会が始まり、野田首相が施政方針演説を行った。その内容を受けて、今朝の読売新聞の社説では、「財源すら不明確なマニフェストの実現」にこだわるのは得策ではなく、「改革のためにはマニフェストの撤回をためらうべきではない」としている。確かにマニフェストにこだわり過ぎる必要はない。しかし、あまりマニフェストから離れ過ぎるようだと折角始まったばかりのマニフェスト選挙の先行きは暗い。 おそらく2009年の選挙前で民主党が政権につく前のものだと思うが野田首相が街頭演説でマニフェストを守ることの大切さを訴 [→続きを読む]

スマートフォンの普及がだいぶ進んできて携帯電話のボタンを押して操作している人より画面を指でなぞって操作している人の方が多くなってきた感がある。IT分野の長足の進歩にはいつも感嘆する。処理能力や記憶容量が倍々で増加する一方で、ハードウェアの物理的なサイズはどんどん小さくなる。 これだけITの技術が進めば生産性が飛躍的に向上しそうなものだが実際のところどうなのだろうか?たとえば20年前に比べて同じ業務をするのに80%の時間で済むとすれば、同じ生活レベルを保ったとして、週5日働くのを週4日働くので済み [→続きを読む]