複雑なものの仕組みを理解しようとするとき、分からない部分を中の見えないブラックボックスとしてまとめて、その中身を無視することによって、全体像を捉える、というのは賢いやり方である。ブラックボックスの中身の構造はわからなくてもどういう入力をするとどういう出力があるか、を理解すれば、全体の仕組みを理解できる。細かいところを気にしすぎていてはいつまでたっても全体がわからない。自動車の仕組み大まかに知ろうと思ったら初めはエンジンをブラックボックスとしてとらえておけばよい。エンジンの原理を知らなくてもその入 [→続きを読む]

以前からしないように気をつけてはいるが、気を抜くと未だにしてしまいそうになることがある。自己正当化である。小学生が「僕悪くないもん」と言うのと同じように大人も「自分は悪くない」と考えようとする。より大きな問題は、自分が悪くないと他の人を説得しようとすることよりも、自分自身を説得しようとしてしまうことだ。自分自身への説得の仕方は子供の頃よりむしろ巧妙になっているかもしれない。何かうまくいかないことがあったときに誰のせいにするわけでもないが自分としてはベストを尽くしてそれ以上やりようがなかったと思っ [→続きを読む]

子どもの頃、世の中はもっと安定しているものだと考えていた。親や先生は正しくて、いろいろなことがかちっと決まっていると思っていた。時代の違いもあるがそれだけではない。いろいろなことを知るにつれて実際は人間が不安定な世界に生きていることを理解するようになる。ずっと前からそこにある安定した存在だと思っていたものや事柄が実はまだ完全には信頼できない不安定なものだと知る。 世の中に理論と呼ばれているものは数多くあるがその大半は実は仮説である。事象から帰納的に導かれた理論はすべて仮説といってよい。厳密で正し [→続きを読む]

伝えるということはとても難しい。自分の考えていることを相手に伝えようとするとき、言葉を使うことが多いが、言葉はとても便利なものではあるものの万能からは程遠い。共通の認識がない新しいことを伝えることができない。 たとえば、何かの物の色について伝えるとき、赤、青、黄といった色を表わす言葉を使うことができる。これは赤、青、黄という色がどういう色かという共通認識があるためだ。しかし、実際に自分に赤がどういう色に見えているか、ということを他の人に伝えることはできない。リンゴの色、イチゴの色、夕焼けの色、と [→続きを読む]

学習のプロセスは一本道ではない。行ったり来たりする。 大学入試の対策や資格の取得のために勉強しようとするとき多くの人は教科書的なアプローチを取る。実際に本の教科書を読むこともあれば、授業で必要なことを順番に学ぶということもある。いずれにしてもすでに全体を理解している人が学ぶべきことを整理してくれたものを順番に学習する。すべての項目が重複なく網羅され一見効率よく学ぶ方法のように見える。実際、その分野の知識を持っている人がさらに頭の中を整理するためには効果的なアプローチだ。しかし、どんなに洗練された [→続きを読む]

「プラトー」というテーマで前回の記事を書いたが、次の飛躍の準備段階としてではなく、ただの停滞状態であるプラトーから抜け出せないときは、自分の脳がオートパイロット状態になっていないか確認するといい。飛行機の離陸時には人間のパイロットが風の状態、機器の状態、等に万全の注意を払いながら操縦する。しかし、安定飛行に入った後は、基本的に自動操縦となる。人間の脳もあまり変化のないことを行うときは活発でなくなりオートパイロット状態に入る。 ここでいうオートパイロット状態とは、集中しなくても物事をこなしているよ [→続きを読む]

プラトー(plateau)は、もともと高原、台地といった意味だが、成長が止まって上昇も下降もしない平坦な状況のことを示す。 以前、「字のきれいさ」という記事でも話題にしたが、何事もただ単にやり続けるだけでは遅かれ早かれどこかでプラトーに達してそれ以上、上達しない。 一生懸命勉強しても全く効果があがらないことがある。難しいのは、間違った方法でやっているから成果があがらないのか、正しい方向でやっているけどまだ成果が上がっていないだけなのか、の見極めだ。正しい方向でやっていたとしてもすぐには成果が見え [→続きを読む]